Weekend 2013 February(1)



 2/16(Sat)-17(Sun) Birmingham, AL

 VAを除けば、車でマラソンに参戦出来る限界の州ということで、以前から注目していた州である。問題は、年間に行われるマラソンの大会が、州内に年4回しか無いということなのだ。うまくタイミングを合わさなければ、なかなか参戦することが出来ない。ここのところ忙しくて、どうするか決めかねていたのだが、どうやら院内も落ち着いてきた。月に一回の週末は遊んでもいいという約束なので、日本人学校の送迎はNさんにお願いして、急遽参戦することとなる。
 7時半にWSを出発、65mile/hの経済運転でAtlantaを過ぎ、7時間半でAlabama州Birminghamに到着する。参戦するまで気がつかなかったのだが、時差が1時間あるので、1時間得したような、けれど1時間明日損するような、、、。


 ここでAlabama州についておさらい、人口は500万人弱で、最大の人口密集地帯はBirminghamエリアの120万人だ。ばりばりの南部で、第二次世界大戦後の黒人差別の激しかった所である。
 まずはダウンタウンの美術館周辺に駐車して、その辺りの調査だ。明日のマラソンのスタートもこことなるので、路上駐車する場所を確認しておこう。

 EXPO会場では、ゼッケンをゲットしておく。この大会はMercedes Benzが冠スポンサーとなっているのだが、実はベンツのアメリカで唯一の工場がBirminghamの南西Vanceにあるのだ。ついでに言うと、Toyotaの工場がHuntsville, Hondaの工場がBirminghamの東のLincoln、アメリカで唯一のHyundaiの工場がMontgomeryにあるという、自動車産業で今や成り立っている州なのである。

 ダウンタウンはあまり賑わっておらず、閑散とした雰囲気だ。
 明日のレースの準備も一部されていた。
 次にBirminghamで一押しとされる観光施設である、Birmingham Civil Right Institutewを訪れる。目の前は公園となっており、多くのオブジェがあった。
 ここでどういうことが起こっていたのか、だいたいのあらましを予習することが出来る。

 入場料は$9、AAAの割引がある。残念ながら内部は撮影禁止であったが、ここBirmingham, Alabama周辺で起こった市民運動が、時系列で展示されている。特にMontgomeryで起こったバスボイコット、ここBirminghamがBombinghamと言われるまでになった白人による黒人への爆弾テロ、KKKによる黒人へ殺戮を、事細かに展示してあった。最も印象的だった写真は、黒人を首吊りにしてもなお薄笑みを浮かべる白人男性女性であった。また、改めてMLKのI have a dreamのスピーチを見たが、あの演説力は凄いなと改めて思った。
 MLKの足跡を追いかけて、彼の生誕地Atlanta(2008年11月訪問)、彼が暗殺されたMemphis(2011年3月訪問)を訪れたが、あの時代から今や黒人大統領が生まれ、時代の移り変わりが速いことを痛切に感じる。それとともに、一番の黒人差別が強かったこのAlabama, Deep Southに来たことを認識するのであった。

 さて、次に訪れるのはVulcan Museumだ。何故この町が発展したのかから始めないと、黒人差別などの背景もはっきりとは見えてこないであろう。
 その答えは、ここに鉱山があったことによるのだ。南北戦争以前は、綿花の産地として知られるくらいであったが、その後奴隷は解放される。その豊富な労働力をもって、鉄道が敷設されることになる。そのメジャーなラインの交差点になったのがBirminghamだ。それと同時に、このBirmingham市内の南部にある丘に鉄の鉱山が発見されたのだ。その南部には、鉄の精製に必要とされる石炭と石灰岩の鉱山も発見された。こういったことから、驚くべき発展を遂げていくことにあんる。
 そしてその背景にあったのが、劣悪な環境で安い賃金で働かされた黒人であったのだ。1929年の不況でかなりダメージを受けたが、戦争好況でその生産復活したそうだ。そのため、多くの黒人が北部の主要都市に移り住んだの対して、ここには黒人が働くことの出来る職があったのだ。

 $5.28の入場料(AAA割引)を払って、内部に入る。鉱山の地図なんかも展示してある。また、当時の坑道などの位置も知ることが出来る。

 私の鉄を辿る旅は、今回だけでは無い。Saugus Iron Works NHS(アメリカ最初の製鉄所:2005年4月訪問)、Youngstown(2004年5月訪問)、Duluth(2010年10月訪問)、Ashtabula(2010年7月訪問)と訪れてきたが、町の出来る過程、そして逆に崩壊していく過程も勉強することが出来る。

 次にTowerに登ってみることとする。階段でも登れるし、エレベーターでも登ることが出来る。展望台は下が丸見えなので、ちょっと足がすくむ。
 町の概要を望むことが出来るであろう。
 展望台からは、しっかりとバルカン像を望むことは出来ない。
 鉄製造の全盛期に作られた建物だ。町のシンボルとなっている。
 帰ろうと思っていたら、日の入りがちょうど来たので、急いで上に上がって写真を撮る。あまり来ることもないだろうから、スプーンもゲットしておく。
 夕食は、安ホテル(Motel 6, $46.79)に入ってから、いつものカーボローディングの食事だ。ゆっくり疲れを癒した後、翌朝レース会場に向かう。駐車スペースは、案の定レースの一時間前くらいから一杯になってしまった。
 今回のレースも、ハーフマラソン・リレーとの交合レースなので、大勢の人がおしけけている。
 7時3分にスタート、コースは同じコースを2周するというあまり面白くないものだ。1マイルが7:01と突っ込みすぎだが、最近のスピードトレーニングと同じスピードで突っ込んでみることにする。2mileにはやや抑えようとして7:12、3マイル4マイルと気持ちのいいフラットコースが続いて6:56, 6:59となる。UABのキャンパスや病院を抜けて、5マイルへと軽い登りだ。ここは7:19となる。
 6マイル辺りは住宅街を抜ける、7:11でいく。

 7mileでレストランなどの並ぶこぎれいな20th streetに戻ってくる。7:11だ。ここから登りが始まる。我慢して登って8mieが7:37、9mileへは下りをこなして6:50、10mileへは再び登りで7:38だ。ここは、やや高級なイメージのする住宅街だ。その後はまた下ってスタート地点に戻るように走る。11mileが7:11、12mileが7:33、まだまだ体は大丈夫なのだが、足が張る感じがする。
 13mileでハーフと別れる、7:22, 7:22, 7:20と15マイルを通過、16mileを7:13, 17mileを7:30、病院を過ぎた頃から、足に粘りが無いことに気づかされる。18mileが8:24、feel the wall、明らかに前半のオーバーペースだ。ここまで3時間10分を切るペースだったのだが、もうどうしようにも無いので、ここからは我慢の走りに徹する。
 19mile7:49, 20mile8:32、ここからまた登りのセクションだ。9:21, 9:22, 10:01で23mileへ。

 8:53, 10:16でダウンタウンに戻ってくる。ここまで遅くなると、がんがん抜かれがちなのだが、ある程度順位は保っている。26mileは9:46、乳酸がたまってきているのを実感する。最後はゆっくりとした1:52でゴールする。
 3:27:52、124位/995人であった。完全に失敗レースであったが、最後まで歩かずにゴールすることが出来た。ペース配分の大切さを痛感するレースであった。今後は、スピードよりもロングの練習をこなさなければいけないようだ。それと同時に、靴のクッションを感じなくなってきたので、新しい靴を購入する必要がありそうだ。

01 7:01、07 7:11、13 7:22、19 7:49、25 10:16
02 7:12、08 7:37、14 7:22、20 8:32、26 9:46
03 6:56、09 6:50、15 7:20、21 9:21、last 1:52
04 6:59、10 7:38、16 7:13、22 9:22、
05 7:19、11 7:11、17 7:30、23 10:01、
06 7:11、12 7:33、18 8:24、24 8:53、

 メダルはメルセデスベンツのロゴ、商品には帽子までついていた。
 時差も一時間あるので、少しの休憩を入れた後、とっとと東を目指す。Charlotteで買出しをした後、20時過ぎに帰宅する。マラソンの出場料$97.33、宿泊代$46.79、博物館など$25.27、ガソリン代だいたい$113.05で、$282.44でした。さて、いよいよ近郊のレースはDCとVAだけとなってしまったが、次はどこのレースに参加しようかな。


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