Weekend 2004 May (1)



 5/1(Sat) Cascade Valley Metropark→Youngstown

 ウシがいるのと仕事で遠出も出来ず、天気予報も雨が降るという予報だったので、今日は近場を攻めることにする。Yは今週、金魚がグッピーを飲み込んでいるのを目撃してから、夜中うなされる日々が続いているので、気分転換にいいだろう。自分でサングラスをかけて、出撃体制をとってくれる。

 今日の目的地の一つは、またもやOhio Erie Canalの中でまだ調査の済んでいないLock 17-23だ。Cuyahoga NPの南端にあるBotzum Trailheadに駐車して、Yを乗せたリヤカーを引っ張りながら南下する。
 しかしTowpath Trailとは名ばかりで、運河の痕跡など何も無い。というのも、Akronからの下水管が運河に建てられたからだ。Cuyahoga Riverを左手に見ながら遡上していくと、釣りをしているおじさんに遭遇。結構型のいいバスを釣り上げていた。仕掛けはフライではなくて、ルアーであった。
 North Portage Pathは、その昔Indianがカヌーをportageした道があった所だ。Cuyahoga Riverと交わるここは、North Terminusと呼ばれていた。Ohio州政府は、Ohioの地形を調査して、このIndianも南北の交流に利用していたCuyahoga RiverTuscarawas Riverに運河を建設することを決めたのだ。

 大きな銅像およびをPortage Pathを記した三角点が残されている。
 更に上流に進むと、Cuyahoga Riverとは別れることになる。Memorial Parkway Trailheadを通過して、600m位進むと、Lock 18だ。ハイキング道が、Lock内を通過するようになっている。

 更に500mでLock 17だ。ここまで登ってくると、かなり傾斜も強くなってきた。Lockごとに異なる説明が書かれているので、それぞれのLockで勉強することが出来る。1913年3月24日から始まった水害で、Ohio Erie運河が二世紀にまたがった運用に幕を下ろしたことが書かれていた。

 ここから300mで、以前訪れたLock 18に到着したので、来た道を戻ることとする。往復20kmのサイクリングであった。

 このエリアのLockを観察する場合は、Mustill Storeの駐車場に車を停めて、Lock18まで往復するのがいいのではないだろうか。

 AkronのGoodyear本社に寄った後、今日の第二の目的地であるYoungstownに到着する。

 高校の地理を勉強している時に、『Pittsburg, Cleveland, Youngstownは製鉄』と覚えていたが、1980年に倒産するまでは、Youngstown周辺は全米でも有数の製鉄地帯であったのだ。今日は製鉄の歴史を伝える、『Youngstown Historical Center of Industry & Labor』に行くことにする。

 場所はかなりわかりにくい。Downtownのすぐ北にあるWood Street沿いにある。下調べしていおくことをお勧めする。

 『なぜここで製鉄が行われたのか』、という疑問を解決するためにここにやってきたのだが、それには製鉄の方法から勉強しなければいけなかった。製鉄には、鉄鉱石と炉を高温に保つ燃料が必用であるのだが、ここには原料である鉄鉱石と、多くの炭がとれたそうだ。そして、ここでも重要な役割を果たしたのが『運河』であった。材料を運び、製品を運ぶと言う流通の上にこの町は発展していった。近くで石炭が取れるようになったこともあり、最盛期には10以上の会社が製鉄業を行っていた。第二次世界大戦中も、大きな役割を果たしたようだ。面白いことに、運河の運用が終わった後も高炉は全て運河に沿って建てられており、運河に沿って鉄道が、道がつけられたことがわかる。

 しかし、やはり内陸部にあることが原因と、アメリカ以外(実は日本)からの質の高い鉄が輸入されたこともあり、1978年から始まった製鉄業の倒産は、この町をさびれたものとしてしまった。1980年には鉄鋼の生産量が日本に抜かれるのには、こういった倒産が背景にあるのだ。ちなみに、現在の鉄鋼の生産第一位は中国で、二位日本、三位アメリカとなっている。中国の鉄鋼の質は悪いだけに、日本が生き残っていくためには、質の高い鉄鋼を作るという技術なのであろう。

 現在では完全にさびれてしまったヤングスタウンではあるが、私のホームタウンである神戸も製鉄が町のひとつの産業であるだけに、感慨深いものを感じてしまった。

 日本の場合の都市の発達には、平野部・盆地などの地理的要因、城下町などの政治的要因が強いのに対して、アメリカの広大な大地の場合には、交通の発達が都市の発達には欠かせない。そして、鉄道の無い時代の交通の重要な役割を背負っていたのだが水運であったがために、ニューヨーク、シカゴ、クリーブランドなどの都市が発展したのだ。
 あまりYは楽しくなかったようだが、機関車を見つけた時だけは大興奮していた。
 トレインを見せてあげようと、帰りにOhio Erie Canal Reservationに行ってみるが、土曜日の夕方になると残念ながら走っていなかった。またお昼に来て、『しゅっしゅっトレイン』を見せてやろうか。

 外はすっかり春だ。いよいよ一年で一番いい季節が到来した、といった感じだ。


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