2015 Spring Vacation in Japan



 3/24(Tue) Kagoshima

 時差ぼけもあり、早々に起床して早朝ランに出撃する。目の前には、桜島が望まれる。
ホテルは高台に建っているので、景色は格別だ。山側の部屋はお得だが、やはり展望は桜島側が最高だ。
 まずは、西郷隆盛さんの立てこもった洞窟へ。ここには張りぼてのような像がある。
 鹿児島本線のトンネルには、敬天愛人の文字が刻まれている。
 先程の洞窟から北上すること数百メートル、ここで政府軍の銃弾に倒れた西郷氏の最後の地には、石碑が建てられていた。そこから更に山を下ると、鶴丸城跡に出てくる。
 このお城の北東は、鹿児島医療センターになっているのだが、その昔は西郷さんの私学校、更には鹿児島大学病院があったそうだ。 
 天守閣を持たない城郭で、薩摩藩の風潮をうかがい知ることが出来る。
 江戸幕府の推進した医学はイギリスからのものであったが、明治政府の取り入れた医学はドイツ医学であった。その職を辞したWilliams Willisを雇い入れたのが、鹿児島大学であった。このWillisの下で学んだのが高木兼寛で、後に東京慈恵医科大学を創設することになる。彼の銅像が、お城の対面にあった。
 鹿児島には面白い自転車システムもあった。30分以内に次のステーションまで運転するならば、何時間利用しようが料金は200円というレンタル自転車だ。あらかじめ地図を入手しておけば、一日で色々な場所を回ることが出来るであろう。
 次に、西郷さんの銅像だ。かなり大きな立派なもので、道路の反対側にその撮影ポイントがある。 
 すぐ傍には、小松帯刀の像もある。ここからは、海岸まで走ってみる。ここには、大きな水族館もある。
 桜島行きのフェリーも、ここから出発している。
 ここには、薩摩藩の時代からの防波堤があるのだが、明治天皇行幸の碑も立てられている。興味深いのは、昔の防波堤の石垣に、職人さんのイニシャルが彫られていることであった。
 桜島から登る太陽を見ながら、市内をランするのであった。
 天文館を通って、照国神社へ。1862年建立で、祭神は薩摩藩代11代藩主の島津斉彬公である。1882年に別格官幣社に昇格しているが、明治維新におけるその功績が評価されているといえよう。
 神社には、島津藩の丸に十字とともに、菊の御紋が祭られていた。境内には、斉彬公の銅像がある。また隣接して、島津久光公、忠義公の像がある。
 照国神社から城山ホテルまでは、緩やかな遊歩道が続いている。
 市内ランの印象であるが、山から海へのランは、交通量が多くあまりお勧めは出来ない。山沿いを走ったり、海沿いを走るのがいいのかもしれない。
 朝食はホテルで。バイキング形式なのだが、かなりいい食材を用いていた。
 テラスからは、桜島が一望できる。
 時には、噴煙がこちら側にも流れてくるようだ。白鳳関のサインもあり、鹿児島市内有数のホテルである。
 チェックアウトして無料バスで天文館へ、次に宿泊するホテルに荷物を預けた後、維新ふるさと館へ向かう。ここでは、鹿児島の歴史について学ぶことが出来る。
 最近歴女となっているようで、いろいろと勉強になったようだ。 
 大久保利通公、西郷隆盛公の像を見学した後、水族館に向かう。
 ジンベエザメで有名であったが、残念ながら最近死去したとのことであった。入場後はまずは、イルカショーへ。
 かなりしっかりとトレーニングされていた。犬笛についても、いろいろと教えていただいた。
 大水槽は、大物がいなくてやや残念だったが、小さな水槽には多くの展示があった。
 一方通行になっており、うまく渋滞を緩和するような設計になっていた。
 鹿児島湾に生息する魚介類の展示も多く、海の幸山の幸に恵まれた土地であることを実感した。
 ややお腹も減ってきたので、近くのおすし屋さんでお腹を満たす。
 そして、タクシーで鹿児島大学病院に移動する。この町は、南北に縦断する大きな道が国道217号線しか無いので、かなり渋滞する道であった。アメリカの感覚であれば、環状線を通さないとこれ以上の町の発達は見込めないように思えた。
 講義の終わった後は、娘と食事に繰り出す。ホテルの目と鼻の先にある、お勧めの牡丹というお店にする。揚げ立てのさつま揚げ、トンカツは絶品であった。
 そして豚シャブだ。鳥の炭焼きも頂くことが出来た。
 アメリカから来たことを言うと、赤ワインやデザートまでサービスされてしまった。本当にご馳走様でした。


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