Weekend 2005 November(1)
11/4(Fri)-6(Sun) New York |
仕事を終えてから、そのまま飛行場へ。空港のパーキングに駐車して、New York行きの飛行機に搭乗する。Yも随分慣れてきたものだ。私も5回目のNY訪問となる。あっちゅう間にNYのまぶしい限りの明かりが見えるようになり、LGA飛行場に着陸する。けれど、ここからが大変。金曜日の夜ということで、なかなかタクシーが現れず、1時間も待たされてしまった。そして、ManhattanのT先生宅にお邪魔することとする。よろしくお願いいたしま〜す。 |
翌朝、Outletお買い物部隊と別れて、まずはゼッケンをピックしに行く。展示は前回と同じような感じ。 |
New York市内は、あまり興味が無くなってきているので、レンタカー屋までぶらぶらそぞろ歩き。 |
チャイルドシートが無い、ガソリンが満タンでは無い、などと問題もあったが、無事にNew Yorkを脱出、市内を抜ければ紅葉もまだまだ美しい場所がある。ところでレンタルした車は、GMのとんでもなくでかい『Compact Car』。7人以上座れるSUV。燃費も悪いので人気が無いのだろうが、このガソリン高の現在、『上級車にグレードアップ』されても迷惑な話だ。 |
今日の行き先は、New Yorkからは東にあるSagamore Hill NHP。ここには、Theodore Roosvert大統領の家(→夏の別荘)があった所だ。日本人には、小村外務大臣のポーツマス条約締結のための根回し会見が行われたことでも知られている。 |
駐車場の奥には、博物館がある。TRの波乱万丈の人生が描かれている。わかりにくいが、その脇から海まではハイキングトレイルが伸びている。傾斜の強い下り坂であるが、Yは元気に駆け下ってしまった。海岸は湿地帯のようになっていて、砂浜まで橋が伸びている。多くの別荘が望まれ、何だかNew Yorkにいることを忘れてしまいそうな風景だ。 |
この後大統領の家に戻り、予約しておいた1時間のツアーに参加する。North DakotaのTR National Parkに行ったことがあり、ある程度知識はあったので、説明も非常に聞きやすかった。内部は6人の子どもがいただけあって、多くの部屋がある。アフリカ探検などのおみやげや、自然・動物に関する置物が多い。ここを訪れるならば、是非内部も見学したいところだ。 |
さて、今まではLong Islandの北部にいたのだが、次に南部の大西洋に面した海岸に行ってみる。この辺りの砂浜の多くはState Parkとして管理されているのだが、入場料が$20とOhioでは考えられない値段であるのが印象的であった。 |
Captree SPでちょっと休憩。Yはこの海岸が気に入ったようだ。 |
Fire
Island NSに到着する。ここには灯台があるのだが、駐車場からは結構歩くことになる。普段歩かすのには労力がいるYであるが、木の遊歩道は気持ちいいのか、灯台に向かって走っていってしまった。 周辺には鹿も多いのだが、野生動物を何たるかをわかっていない連中が多く、餌をばらまいている人が多いのには閉口してしまった。 |
いよいよ灯台に接近、空のうろこ雲が美しい。 |
上の展望台まで見学も可能であるが、Yは身長制限にひっかかるので、下からの見学だけにする。この辺りでは人気のツアーみたいだ。 |
最後に海岸に出てみる。美しい夕陽を拝むことが出来た。 |
Yは夕陽をバックに、砂山作りに明け暮れていた。New Yorkの近郊にこんな美しい風景があるなんて思いもしなかった。 |
Manhattanまで戻って車を返却。近くの日本レストランで、うどんと雑炊を頂く。K先生宿泊のホテルも近いことに気がつき、ホテルまで行って会うことにする。初めて会うのだが、お互いHPで交流があるせいか、初めてではないような妙な感じ。いわゆるランナーの匂いっていうやつでしょうか。 |
そぞろ歩きでT先生宅へ帰宅。Rockfellerのアイススケートはお昼よりも人が一杯だった。Rockfellerビル展望台もオープンしたせいもあり、周辺は非常ににぎやかであった。 |
さて、翌日。早起きしていざ出撃。天気は観客には最高、ランナーには最悪の絶好の行楽日和。 |
さて今年のレースであるが、2年前よりも暑いという印象であった。スタテン島へのバスは、前回の教訓を生かして、最後尾に乗車する。そしてスタートラインへ。今回は緑スタートで、橋の下側だ。 国家斉唱の後、石原東京都知事によるスタート。日差しも無く、いいポジションでのスタートだった。しかし橋を渡り終えると、すかさず夏の太陽が我々を照りつける。7'/mileのペースでいくのだが、5mile走っただけなのに、体は好調時のハーフの疲れのようだ。 |
ちょこちこしたアップダウンが体にこたえる。13mile手前でK先生を発見、流れに乗って最初のきつい坂を登る。そしてマンハッタンへの長い登りだ。この辺りから少しペースダウンしていく。しっかりと水分を補給しているつもりだが、明らかに出るほうが多い。しまいにはお腹も少し痛くなってくる。1st Streetの大歓声を背にがんばるのだが、あまりペースはあがらない。 |
一方、みんなはゆっくりと出撃。プラカードを手に応援に行くが、、、あまりにも多い人のために、確認不可能。 |
レースは、20mile過ぎから更にペースダウン。モチベーションも切れてしまい、24mile過ぎからはとうとう歩くことも。Central Parkに入ってからのしんどさは、二年前と同じであった。 |
もの凄い歓声に押されて、最後は少しがんばってゴールへ。 3:21:10という失敗レースでした(1905/37012人)。でも走りこみ不足もあり、トラックでのタイムからしても妥当な記録であったと思う。 |
ゴール後、K先生とすぐに合流。いろいろと日本の医療情勢などについて談義する。また日本で遊んで下さいね。(最近Yは、字が書けるようになってきた。) |
我々は帰りの飛行機があるので、荷物をピックした後、飛行場へ。 |
しかし、ここからが実は大変であった。Yはおねえちゃんに遊んでもらっているのでいいのだが、カウンターには長蛇の列だ。何やら悪天候のために、飛行機のスケジュールが大幅に遅れているというのだ。18:20の便であったが、結局21:30まで待たされて欠航だって! 翌日のフライトに回してもらおうとするも、16時台のものしかとれないし、ホテルも$200とか言われる始末、、、。 |
じゃあ、いっそのこと車で帰りましょうかと、AVISに電話してみると、乗り捨て料金はかからないそうだ。今回の旅行で2回目のレンタカーを借りて、一路西を目指す。たかが480mile、されど26mileを走った後の480mile、睡魔と闘いながら朝のClevelandに到着し、朝のmeetingに参加する。あ〜、とんでもない旅行になってしまった。こんなことなら初めから車で来たのに、、、ぶつぶつ。 後日聞いたところによれば、Indianaを襲ったTornadoがあったそうで、20人以上が死亡したそうだ。しょうがないよね。 New YorkはBostonに並び難しいコースだと思う。応援は凄いのであるが、11月のNew Yorkは暑いということもあり、もう一回走りたいとは思えない大会である。ハードコースでもいいので、景色のいい田舎道を走ってみたいものだ。次のマラソンはどこに出場しようかな? |