Weekend 2004 June (2)



 6/11(Fri)-13(Sun) Pymatuning SP, PA

 アメリカに来て2年が経過したが、たくさんたくさん遊んでもらったY先生・M先生・Ok先生が帰国されることになり、最後(?)のFarewell Campingを企画することとした。場所は、2年前の9月に初めてY先生家族に会ったPymatuning SP, PAとすることとした。このキャンプ場は数あるCleveland周辺のキャンプ場の中でも、最高位に位置する評価であると思う。

 Yはママが朝からキャンプの用意をしていることに気付き、『キャンプ、キャンプ』、と言ってはしゃいでいる。ママはPoizon Ivyが完治していないため、明日からの参加とすることとし、まずはWAL MARTでライフジャケット等の購入をして東に車を進め、キャンプ場に到着する。

 出発が遅れたこともあり、設営などをしていたら日没となってしまった。しばし手を止めてビーチに出てみた。綺麗な夕焼けを見ることが出来た。

 売店で薪を購入したりしていると、後発隊6人が到着する。『チーズ・フォンデュ出来てないの〜?』 今日は金曜日でテントサイトの人数も少ないので、気兼ねすることなく飲んで騒ぐことが出来た。今回のサイトは初日317,547、2日目318,545を加えた4サイトであった。難点はトイレが少し遠いことくらいか。

 今回のお客様であるが、日本からはるばるFarewell Campingに駆けつけてくれたAさんである。何と日本からClevelandの空港につくや否や、Y先生に拿捕されてキャンプ場に連れてこられたらしい。Aさんの差し入れの日本酒などで盛り上がり、一人・二人と倒れていったのだが、天の川を見ながらの話はつきることは無く、結局お開きとなったのは3時半であった。
 遅くまで騒いでいたので、起床は8時半。朝は恒例の和風定食である。ごはんもばっちり炊き上げることが出来た。(Ok先生は朝早くから、ゴルフに行ってしまった。)

 今日は何をしようかと思っていたが、近くにマリーナがあるということで、みんなでボートを借りることにする。YはTちゃんんになついてしまっている。

 出航! そしてマリーナを出るや否や、まずは乾杯!(本当は違法です。)

 タイタニックおたっきー、Y船長、Aさん、M会計部長、Tちゃん、Demon閣下。湖面を渡る風は非常に気持ちがいい。
 あまりに気持ちがいいので、必然的にこうなり、
 こうなってしまいます。今年の初泳ぎでありました。
 そうこうするうちにKi家到着。Ki家を乗せてクルーズした後、クルーズはいったん中止して、お昼ご飯を食べることにする。メニューは鳥の丸焼きラーメンとTai家が作ってくれたぎょうざ。
 C家も到着、どんどんキャンプ場も賑やかになってきた。こうやって見ると、おそろいのウエットスーツは、兄弟みたい。
  昼食後、午後も再び出航する。沖ではヨットレースをやっていた。
 湖の真ん中で泳いだり、カヤックしたり。
 Yはあまり怖がる素振りもみせず、クルーズに御満悦であった。港ではDemon閣下の指導のもと(?)、フィッシング。
 次々にみんな到着してくるので、代わる代わるクルーズを行う。
 今日はやや運動不足気味であったので、ロードレーサーでダムに行ったり、州超えをしたりして15km疾走する。
 みんながクルーズに行っている間に夕食の用意をする。今日も恒例の『牛タン』である。やはり外科系のDr.は手つきがいい。
 ある程度、下ごしらえをした後、浜ではビールをかけての真剣勝負のバレー。我々のチームの圧勝であった。
 おなかも減ってきたので、早速BBQのスタートとする。久々の牛タンであるが、やはりおいしいものだ。

 気がつけば今まで経験したことの無い大人数になってしまった。日没にかけて収拾不能になると思われたので、先に集合写真をとっておくことにする。(クリックすると大きくなります。)結局、総人数43人であった。
おたっきー家(2+1)、Tai家(2+1)、Michelle家(1+2)、Ak家(2+1)、F家(2+3)、Ki家(2+3)、Ko家(2+2)、Am家(2+2)、C家(2+0)、Y先生、M先生、Ok先生、D先生、Y先生、I先生、Ku先生、F先生、Ko先生、H先生、Aさん=28+15=43人


 大人数ではあったが、自己紹介もしたので特に混乱も無く、牛タン・牛肉はあっという間に消えていった。Ok先生がゴルフから帰着し、シャンペンでF先生の$7 millionグラントをお祝いする。

 気がつけば日没。酔い覚ましに泳いでおく。もちろん、泳ぐのはいつもの仲良し3人組。数えてみると、このHPへのY先生の登場回数86回、M先生の登場回数42回であった。山岳部員といえども、こんなに一緒に遊んだ人はいないであろう。日本に帰った時も、是非また会いたいものです。

 その後、お子様接待自転車。日帰り組も帰るというので、一度綺麗にした後、仕切りなおし。
 ビールも無くなってしまったので、ワインをジュース状態で飲んでいたら気持ちよくなってしまった。
毎度のことながら、一人倒れ、二人倒れ、私も意識を失う12時半頃、終了とする。
 朝は気持ちよく起床。コーチであるKumaちゃんは、朝6時にCCJRCをたたき起こして40km走に出かけてしまったので、私は自転車で後を追う。一周37kmであったが、後半ペースは落ちたので、平均時速30kmを維持することが出来なかった。
 朝食はサンドイッチと残り物一掃。午前中に撤収を行う。Y先生達は、折角日本から来てキャンプしか経験していないAさんを連れて、大リーグ観戦に行くそうだ。

 我々は、Tai家・Michelle家・Ak家のみんなで、JamestownにあるDeer Parksに行くことにする。早速、鹿が我々を迎えてくれる。


 事前情報では、小さな動物園だと聞いていたのだが、結構動物の種類も豊富だ。羊さん、やぎさん、子豚さんなど、子供向けにはいい動物園だ。

 らくだ、やぎ、クマ、トラ、シマウマ、ウシ、カンガルー、エルク、Cleveland Zooはたくさん歩く必用があるのだが、こちらは効率的に動物を見ることが出来る。
 最上部では『しゅっしゅっトレイン』を発見。興奮するYを連れて、乗車してみる。(大人$2、2歳以下free)
 ピクニックテーブルは無いのだが、大きな石をテーブル代わりにして昼食。プレイグラウンドもあるので、ゆっくりすることが出来た。欲を言えば、ビールを持参するべきあったか、、、。
 こじんまりとした動物園であったが、子供向けのいい動物園であった。弁当、テーブルクロス、ビールを持参しましょう。
 動物園で3家と別れて、我々は周辺の調査を行うこととする。Greenvilleまで南下し、目指すCanal Museumに行く。ここはErie湖とOhio Riverを結ぶ『The Erie Extension Canal』があった所だ。1マイルごとにLockがある、急峻な地形を利用したものであったため、物流のメインルートにはならなかったが、周囲の発展・特に鉄鋼産業には大きく関与したようだ。
 おじさんが丁寧に展示品を説明してくれる。いろいろな知識を得ることが出来た。館内には復元されたCanal Boatもある。入場料は、夏休みの間はfreeであった。

 Canal Museumのおじさんの勧めで、近くにあるRailroad Museumにも行ってみる。ここには世界最大の蒸気機関車、『Engine 604』が展示されている。

 機関室にも入ることが出来る。Yは、何だかわかっていない様子。ディーゼルなどの他の車両も展示されている。

 このGreenvilleには2つの町自慢がある。一つはこれら鉄を作成した『Greenville Metal Products Company』と、パラシュートの発明家『Stefan Banic』がSlovekiaからアメリカに来て住んでいたということである。彼は後に故郷に帰るのだが、飛行機時代の突入とともに、彼のアイデアは大きく飛行機の発展に貢献していったのである。
 西に車を向け、モスキート湖を横断していく。アーミッシュ居住地帯を通りながら、ひたすらまっすぐな道を通り帰着した。このOhio東部の景色は、私のお気に入りの景色の一つだ。New YorkやBostonではなくて、ここOhioに留学出来て、本当に良かったと思う。


BACK  INDEX  HOME  NEXT