2005 Winter Vacation Report in Florida



  9日目 12/30(Fri) Daytona
 朝から子供達は海岸で遊んでいる。砂はやや茶色がかっており、あまり質は良くない。
 朝食をとった後、うだうだと過ごす。
 毎年毎年、冬休みはどこかに行くので、誕生日に家に居たことが無いY、とうとう4回目のBirthdayを迎えることとなった。

 今日は釣りに興ずるK家と別れて、我々はキャンプ場の北にある、Fort Matanzas NMに向かうこととする。

 このFloridaという所は興味深い歴史を持っており、1607年Jamestown、1620年Prymouthがアメリカへの移住開始と思われがちだが、それ以前に居住が進められた地域であるのだ。
 Columbus以後カリブ海沿岸を席巻していたスペインが、帰路通るのがフロリダ沖であった。というのも西へ向かうには、やや南を回る海流を、東へ向かうには、フロリダからイギリスへ向かう海流を利用したためだ。そのため、帰路多くの財宝を乗せた船を守るためにも、Floridaは自国のものでなければならなかったのだ。しかし、1564年フランスが植民地造成のためFlorida、JacksonvilleにFort Caroline砦を造ったことから事態は一変する。ここにフランスとスペインの争いが勃発し(本国での争いが先)、スペインはSt. Auguustineに入植しようとする。フランスFort Carolineから、このSt.Augustineを攻めるべく兵が派遣されるが、Cape Canaveral近くで座礁、Fort Carolineへ戻ろうとするフランス兵を虐殺したのが、"Matanzas=(スペイン語で虐殺)"の始まりである。
 その後、Floridaはスペインの統治下に置かれるが、イギリスとの間で1702年・1740年に攻防戦が開かれる。1763年、Habanaとの交換でイギリスへ、1783年再びスペインへ、1821年戦争の末アメリカへ。なるほど、Hispanicが多いのもうなずける歴史なのである。

 そしてこのFort Matanzasは、St. AugustineにあるCastllo de San Marcos砦の裏城のような役目を果たしている城(搦め手口)である。

 砦への見学は、毎時30分に出向するフェリーボートに乗ることになるのだが、定員は45人程度なので、シーズン期は早めに並んでおこう。

 フェリーは左側に乗船するといいだろう。砦はこじんまりとしたものだが、近づいて見てみると、砦の岩は貝殻で出来ていることがわかる。この辺りには岩盤というものが無く、砂から作るからなのだ。だからこそ、イギリスからの砲撃でも、砲弾をはじき返したり、吸収したりして被害を食い止めていたということだ。
 見るべきものはあまり少ないが、レンジャーが詳しく歴史なども説明してくれるので面白い。階段を登り、最後は梯子を登ってタワーの頂上へ。
大西洋からInletへ伸びる地形がはっきりと確認することが出来る。
 砦の見学後、Daytonaの南にあるPonce de Leon Inlet灯台に向かう。この灯台は、Floridaで一番高い灯台だ。
 身長制限も無く、4歳になった『4』をアピールしながら、階段を登っていく。
 光源近くまで近づくことも出来、また展望台には補助ワイヤーがかけられているので安心だ。
 平たいFloridaと大西洋を眺めることが出来る。
 昔の光源なども展示されている。
 Daytona Beachも少し走ってみる。砂はさらさらできめ細かく、思っていたよりもきれいだった。
 スーパーでケーキをゲット、キャンプ場へ戻ると、釣り部隊の方も収穫があったそうだ。班長の号令の下、ダッチオーブンでおいしく仕上げる。
 今年は初めてのキャンプ場でのBirthday、電気も水道もある立派なキャンプ場であることもあり、まんざらでもなさそうであった。Happy birthday!!


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