2004 Winter Vacation Report in CO
10日目 12/29(Wed) Durango→Chaco Culture NM→ |
Yのお待ちかねの機関車を見学する。あいにくの小雨模様だが、Yには関係無いようだ。ツアーに乗ってしまうと5時間帰れないので、今日のところは出発風景だけとする。(是非次回には、9時間のツアーに参加してみたいものだ。) |
Yはてっきり機関車に乗れるものと思っていたようだが、残念だが今回は敗退することとする。 |
DurangoからMesa
Verdeに向かうべく、すぐに高度を上げていくと、すぐに雨は雪になってしまった。路肩に突っ込んでいる車もあり、超低速運転になってしまうので、残念だがMesa
Verdeも敗退することとする。(やはり、次回訪れる必要があるようだ。) |
Yは自分の部屋を探すといって、そこらじゅうを歩き回っていた。ここには400以上もの部屋があったので、どれを選んでもらってもいいのだが、、、。Aztec NMという名前は知っていたのだが、思っていたよりもしっかりとしたものであったので、意外な発見をすることが出来た。 |
NMまでくると、First
Foodもメキシコの香りがしてくる。事実、この周辺はSanta Feを初めとしてもともとはスペインが統治していた領域なのだ。 更に驚くべきことは、ここの統治はメイフラワー号以前の16世紀に始まっているのである。 Aztecで思いがけずに勉強させられてしまったが、Aztecよりも大きく、そしてMesa Verdeも含めたこの周辺の中心的存在であった遺跡が近くにあるという。せっかくなのでそこに行ってみることにする。Chaco Culture NMである。NMながら世界遺産にも指定されている。ただびっくりしたことに、ここに辿り着くためにはUS-550からダート道を30分以上運転しなければいけないのだ! 周囲には見渡す限り何も無く、地平線が広がるばかりだ。もしこんな所で車が故障でもしたら、大変なことになるに違いない。道を間違えたのではないかと不安になる頃、ようやくNMに到着する。 |
Visitor Centerで情報収集をした後、150の部屋があるUna Vidaを横目に、一方通行路に入っていく。まずはHungo Pavi、ここには150の部屋があったそうだ。3階建ての壁が廃墟のように残っている。 |
次に最大の集落であるPueblo Bonitoへ行く。ここはこの地域でも一番歴史のある建造物で、AD850-1140の使用だ。推定50-100人の居住で、この地域全域では2,000-6,000人の居住があったと推定されている。 |
世界遺産に指定されているだけあって、かなり大きな規模であるとともに、修復もしっかりなされている。 |
お隣のChetro Ketlも大きいもので、推定500の部屋があったとされる。大きなKivaも残されている。 |
Pueblo BonitoとChetro Ketlの間はトレールがあって、砂岩に彫られた壁画を見ることが出来る。 |
どうしてここに人がこんなに住んでいたかであるが、この辺りに水が多くあったと考えられている。現在は水が流れていなかったが、ある程度の水流があったのであろう。Pueblo
del Arroyoはちょっとだけ見て、最大のKivaがあるCasa Rinconadaに行ってみる。大きさは20m近いもので、これだけのものに天井があったというのは驚きである。 いろいろな発見があったChacoであったが、この原野を後にする。周囲に全く人影が無いものの、ここには砂岩の岩壁に沿って雰囲気のいいキャンプ場がある。初夏の星空を眺めながら昔を思い出すのもいいのではないだろうか。 |
Albuquerqueを過ぎて夕食をとる。この辺りを旅行すると無性に肉が食べたくなるのは、風景のせいであろうか。 |