2004 Summer Vacation Report in SD,WY,MT
16日目 7/31(Fri) Montana→North Dakota→ |
満月の中夜通し運転していく。夜間でもあるし、帰りは安全を考えてやや遠回りにはなるが、Free Wayを多くたどるコースとする。一旦Shelbyまで出た後、I-15を南下。Boulderから一時下道に入る。町の中心部から南に走ると、Boulder Hot Springsの前を通る。ここもゆっくり出来そうな雰囲気で、B&Bも付随している。 |
さて、昨日21:00にGlacierを撤収した一番の大きな理由は、Bozemanにある温泉で朝風呂につかってから帰るためであった。Bozeman市街の西に位置し、298の出口から8mileくらい南下した場所にある。朝7時前にBozeman
Hot Springs & Fitness Centerに到着してみると、何と土曜日はお湯の入れ替えのために朝昼はやっていないではないか。通常日は7時から始まるだけに、非常に残念であった。眠い目をこすりこすり来たのに、、、。しばし2人で呆然としてしまった。 |
温泉が無くなったということで、再び東に向けて運転を再開する。こんなことがあったとも知らず、Yはご機嫌そのもの。ちょっとでも車を停めようものなら、運動不足の解消に外に出たがる。 |
個人的に非常に行ってみたかったLittle
Bighorn Battlefield NMに立ち寄ってみる。旅行の前半にBlack Hillsに立ち寄ったが、その後の所有権の行方を決めるアメリカ人とインディアンとの大きな決戦があったことで知られる。多くの白人対インディアンとの決戦は、インディアンの惨敗(というか白人による大量虐殺)であるのだが、ここではCusterらが210人全滅という戦いの舞台になったことでも知られる。アメリカの地理・歴史など、今や私の方がうちのラボのMikeより詳しくなっている分野もあるのだが、彼も知っていたくらいなので、Alamoに匹敵するくらい有名な場所なのだと思う。 プレイリーの草原が広がる見晴らしのいい高台にVisitor Centerはある。その一番高い所はLast Stand Hillと呼ばれ、最後の最後までがんばって戦った(とされる)Custerらの最後の場所とされている。頂上には大きな石碑が掲げられており、戦死者のお墓が作られている。しかし、当然のことながらインディアンのお墓は一つも無い。 この戦いではSitting Bullの号令の下、1,000人を超えるインディアン戦士が集結していたのだが、この戦いを契機に、逆に一つずつだが確実にインディアン部族が潰されていくことになる。 |
ここはインディアンとの戦いの象徴的な場所なのであるが、国のために戦死したということで、国立墓地が併設されている。ここには、その後の第二次世界大戦などで戦死した人が葬られているのだ。 アメリカの発展の裏にはこういったインディアン虐殺の歴史があるのだが、あまり今までは公になることは無かった。白人サイドからだけの一方的な評価しかなかったのであるが、近年少し展示方針が変わってきたと聞いていた。事実、Native Americanによるツアー・展示などが数多く企画されていた。そして更にびっくりしたのが、今までのNP等では一度もお目にかかったことが無かったのだが、レンジャーはその殆どがNative Americanであったことである。ただ、展示の端々には『アメリカ(白人)万歳!』、の風潮が残っているのは明らかで、現在の世界におけるアメリカの行動がだぶって見えるのは、私だけではないと思う。 |
このままI-90を東進して帰ってもいいのだが、全米50州制覇計画と2人ともTheodore Rooseveltに興味があるので、ND経由のI-94で帰ることとする。プレイリーを走り、NDに入ってしばらくで、道は先週訪れたBadlands NPのような風景になってくる。インターステートを下りるとすぐにMedoraという町があり、Theodore Roosevelt NPの入り口はすぐである。 |
まずはキャンプ場の入り口にあるピクニックテーブルでスパ昼食とする。Little Missouri Riverの流れるこの谷は、近くにフリーウエイがあるにもかかわらず、非常に静かである。 |
Scenic Loop Driveをドライブしていく。Overlookからは雄大な景色を見ることが出来る。Buck Hill(870m)にもみんなで登頂する。 |
ドライブしていると、やはりいたいた、Buffaloくんである。こちらも群れになっており、道路を完全に封鎖してしまっていた。今回の旅行でこれで何度目であろうか。ただ、ここのBuffaloは他の地域のものとは異なり、非常に優しい目をしていた。手厚い保護を受けているからであろうか。プレイリードッグもたくさん観察できる。Yは、『Buffaloバイバイ!』、と語り続けていた。さて、今度会えるのはいつであろうかね。 |
最後にVisitor Centerに行って、Theodore
Rooseveltの展示を見る。このNPは自然保護と同時に、一人の大統領を記念して作られていることで他のNPとは異なる。もともとの歴史は、彼がここに牧場を作ったことに始まるそうだ。スペインとの戦争時のRough
Rider、パナマ運河建設にまつわる荒っぽい外交に代表される棍棒外交、National
Parkの父、日露戦争終結のポーツマス条約、ノーベル平和賞、、、彼の評価はいろいろあると思うが、Mount
Rushmoreにも彼の顔があるように、アメリカでは人気のある大統領の一人である。 彼はこの土地を愛していたというが、ただどちらかというと乾いた雰囲気のこの場所は、私にはややなじめない部分もある。我々日本人にしてみれば、Glacier NPのようなもっと水っぽい土地の方が落ち着けると思うのだ。これは人種の違いなのか、それとも彼のRough Rider時の騎馬を使用した戦いが背景にあるためなのか、、、もうちょっと彼の人となりが展示されていると思ったのだが、それに関する展示については力不足の印象があった。 |
Medoraの町に行ってRooseveltのスプーンをゲットする。小さい町だが、Glacier
NPへとつながるGreat Northern Railwayが通っていることもあり、発展した土地だ。マイナーなNPだと思っていたのだが、乗馬ツアーなどで人気があるのだろうか、非常に多くの人で賑わっていた。 町を離れ、日付変更線、Missouri Riverを渡り、Bismarckの町で夕食とする。今日はたくさん走った気がするのだが、Montanaが大きすぎたのだ。IdahoからNorth Dakotaまでフリーウエイを移動しただけで704mileもあるのだから。いよいよ休暇もあと一日となってしまったが、まだこんな辺境の町にいる。この先、どうなることやら。 |