2003 Summer Vacation Report in California, USA



  14日目 8/21(Thu) Mt. Whitney(4417m)→Lake Tahoe

 4:45TH-8:55Mt.Whitney9:15-11:25TH
 3時半に起床して朝食・準備をして、4時に彼らのサイトを訪れる。彼らはUCLAの学生だそうだ。天気は雨もぱらつくような具合で、今ひとつだ。車で15分くらい登って、登山地点Whitney Portal(2458m)に到着。既に登り始めているヘッドランプが先の方に見える。
 いざ、出発! 学生さんと登り始めるが、5秒で見切って先行させてもらう。暗闇の中、スイッチバックの山道をひたすら登る。何人抜いただろうか。私の高度順応は既に終わっているせいか、抜き去る人の息は物凄く荒いが、こちらは全く平気だ。1時間で下部キャンプサイトへ、更に1時間で上部キャンプサイトに到着。その頃には陽も上がり、周囲が見えてくる。上部を見てみると、残雪だけでは無くて、明らかに雪が降ったあとがある。上下パッチは正解だった。頂上は残念ながら、依然ガスの中だ。

 ここから更に急登を続けて、Trail Crest(4170m)を通過。いいペースだ。ここで、初めてランニング登山のおじさんに抜かれる。そういえば、ここ最近山で抜かれることは無かったな、と思いながら、Trail Crestからの下りで、おじさんの背後を追走するが、やはり登りになると私の息が続かない。私もペースをあげたせいで、彼の連れのランナーには抜かれることは無く、逆に差を広げたが、抜かれたおじさんには到底追いつけなかった。
 斜面は右が垂壁となっているため、左から巻き気味に登っていくルートだ。雪があるが、クラスとしていないので、歩きにくいことは無い。そうこうするうちに、頂上小屋が見えてきてMt. Whitney(4417m)頂上到着。
 実は私の最高到達高度なのだが、実にあっけなかった。高山病と呼べるものは全く無かったし、小走りでも登れた。順調な順応であったと言えるだろう。
 ガスの中記念撮影をして、登山名簿に記帳する。ランナーのおじさんは、3時間10分で登って来たらしい。お互いにばかランナー談義する。
 写真撮影などもして、ランナーおじさん達もランニング下山を開始したので、私も5分遅れで下山開始する。ついついいつもの癖で、負けん気が出てしまいペースをあげてみると、あっけなく追いついてしまったので、ストックワークを駆使して強引に抜き去る。時々写真を撮りながら走り下っているのだが、速い方のおじさんは、依然スピードを衰えることなく付いて来る。明らかにライバル視している。しょうがないので、私もペースを落とすわけにはいかない。登ってくる登山者も、あまりのペースで我々が下っていくので、みんな道を譲ってくれる。

 上部キャンプの少し上で、UCLAの学生さんにすれ違う。一般的には、登り8時間・下り5時間といったところか。

 しかし、景色のいい地点に着たので、ゆっくり写真を撮っていたら、おじさんに追い抜かれてしまった。ちんたらと、おじさんを追走していたら、おじさん曰く、『2時間を切れるかもしれないから、お前は先に行って全力を尽くせ!』だって。しょうがないので、先行していくが、残り10分ぐらいの所で、不覚にも膝を打撲。痛みが引くまでの5分の間に抜かれてしまう。けれど、結局標高差2000mを2時間ちょっとで下ってしまった。ゴール地点で、お互いの健闘を讃え合う。変な所で、日米決戦をしてしまった。荷物や傾斜にもよるのだろうが、今回の登山で、そこそこの傾斜があれば、登りは500m/H下りは1000m/Hで計算できるということがわかった。
 Trail Headからは、Monbel社長の辰野さんの知り合いとかいうグループに車に乗せてもらって、キャンプ場まで送ってもらう。車内では、『Yuichirou MiuraはCrazyだ』とか、『TatsunoはCrazyだ』とか、またもやCrazy談義に花を咲かせる。
 妻子と再会し、思いの外早くに片が着いたということで、Lake Tahoeまで行ってキャンプすることとする。C達は、第二次世界大戦間の、日本人強制収容所を見学していたそうだ。 昼食を用意しながら撤収。
 北に向けてハンドルを握る。しかし、北上するにつれて天気は悪化してきて、Lake Tahoeに到着する頃には、ついには土砂降りになってしまった。しょうがないので、$35の数字につられてモーテルにチェックイン。スーパーで買出しをして、部屋の中で盛大に焼肉をする。


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