Circumpolar Race Around the World (CRAW)

Region 7 (3,201 km) Malaysia, Thailand, Myanmar



2021/5/4(Tue)

 仕事で忙しくてサボってたら、え?もう57%走破ってどう言う事?(笑)

 確か5月に始まったはずなのに。。。また後追い観光しますね。

2021/5/5(Wed)
 おはようございます。今見たら、既に68%走破、、、、観光が追いつきません! ばーらさん、コジカニさん、下関まで突っ走って下さい!

 インドネシア観光の記録として、ここにあげときました。アルゼンチンが始まった頃は80位くらいだったでしょうか。今や43位なんて、凄いな、なんて思います。せっかくCRAWに参加してるんで、気持ちだけでもアジア旅行しましょう。

http://ootaki.org/CRAW/CRAW.htm

2021/5/7(Fri) 1,467 / 1,989 miles = 73.7% (42nd)

 ばーらさんは本日ゴールしちゃうんでしょうね! こじカニさんも鳥取に入っているようです。2人とも頑張れ〜。

 マレーシアに入ったのは5月2日だったと思うんですが、このステージも残り850qとなってしまいましたね(汗)。

 シンガポールに続きマレーシアの基本情報ですが、人口は3,273万人、面積は日本の9割程度の広さです。イスラム国家であることは以前も書きましたが、スルタン=国王制をしいている。 (実は、説明を読んでもなかなか理解できないシステムなんですが、、、。)


 観光地としては、首都のクアラルンプールから。周辺のメトロエリアを入れると821万人の大都市で、大阪市と姉妹都市です。中心部のペトロナス・ツインタワーが有名ですが、イスラム教のモスクだけではなく、ヒンズー教寺院もある文化の入り混じった地域です。ピンクのプトラモスクを始め、スリマハマリアマン寺院等がお勧めです。
 郊外で絶対に外せないのが、ヒンズー教の聖地であるバトゥ洞窟です。

 マレーシア東部の観光地としては、世界遺産にも指定されているマラッカとペナン島のジョージタウンがあります。マラッカ王国がポルトガルによって滅亡しましたが、拠点としたのがマラッカです。そして支配者が、オランダに置き換わっていきます。一方イギリスは、ペナン島を拠点として東インド会社を設立していきます。イギリスとオランダの政治的駆け引きの中で、マレーシアはイギリス支配となり、貿易港としての役割はマラッカ→ペナン→シンガポールへと移っていきます。

 マラッカですが、1511‐1641年のポルトガル統治時代、1641年-1825年のオランダ統治時代に起源を持つ歴史的建築物があり、ここに華僑文化も入り混じっての不思議な雰囲気を持つ街のようです。観光地としては、赤いオランダ広場やポルトガル統治時代の要塞跡などが有名です。ちなみに日本に布教に来たフランシスコザビエルは、ここから日本に向かいました。



 ペナン島のジョージタウンですが、こちらは1786年にイギリス東インド会社の貿易の拠点として整備されました。多種多様の民族文化が交流した場所として、一つの街に多くの宗教寺院が集まるカオス的街になっています。
 東部の観光地としては、ボルネオ島のコタキナバルです。実は25年前に遊びに行った事があるんですが、海に山に本当に楽しい街でした。特に標高4,101mのキナバル山は、山好きにはたまらない山だと思います。
2021/5/8(Sat) 1,474 / 1,989 miles = 74.1% (43th)
 マレーシアを北上しタイに入ってきますが、ここで気になるのがマレー半島最狭部のクラ地峡です。最も狭い部分では44qしかありません。ここに物流の流れを作れば、マラッカ海峡を通過するよりも、相当な時間と経費の節約になります。最近、中国資本によって運河を築こうという話を聞きましたが(中止になった)、さてそんなに新しいアイデアなんでしょうか?

 実はタイからビルマ(ミャンマー)に抜ける交通路は、先の大戦の日本軍によって既に作られていたそうです。一本は、タイからミャンマーに直接向かうルート=泰緬鉄道、1957年のアカデミー賞受賞作品『戦場にかける橋』と言えばわかりやすいと思います。ちなみに『サル・ゴリラ・チンパンジー』は、皆さまお馴染みのマーチソングですが、この映画のテーマ音楽です。これと同時に建設されたのが、クラ地峡横断鉄道です。

 この2本が開通したものの、戦後はレールも含めて全て撤去されます。その理由が、(イギリスの)シンガポールの優位性を維持するため、だったそうです。その後問題となったのが、軍事上の理由です。日本や中国・アジア諸国において、マラッカ海峡はボトルネックになっています。逆に言うと、マラッカ海峡さえ抑えれば、経済封鎖は簡単だということです。ここに運河を建設することは、欧米によってはあまり利益が得られず、脅威になるということなんです。戦後75年以上経っても、まだこの地域が開発されていないというのは、驚くべきことです。

2021/5/9(Sun) 1,807 / 1,989 miles = 90.8% (42th)

 順番が逆になってしまいましたが、陸路でマレーシアからタイに入ります。タイは多くの周辺国と陸続きであり、昔から多くの戦争が発生していました。そのため、ベトナム、ラオス、カンボジア、そして特にミャンマー(ビルマ)とは犬猿の仲でした。その中で、マレーシアとは宗教は違うとは言え、まだましなようです。合計5か所の国境通過店があるようですが、そのうちのメインハイウエイからタイに入国します。

 タイの基本情報です。人口はおよそ7,000万人、日本の1.4倍の面積を持ちます。95%が仏教徒です。この地域の文化や国を勉強していく上で避けて通れないのが、802-1431年のクメール王国です。現在のカンボジアからタイ、ラオスまでをも含む支配をしていました。首都は、あの有名なアンコールワット寺院に隣接するアンコール・トムです。
 1431年、タイに建国されたアユタヤ王朝に滅ぼされます。首都アユタヤは、バンコック北にありました。その後、欧米の列強が入ってくるのですが、スペインの侵略を阻止したのが、山田長政です。時代はちょうど江戸幕府の誕生の頃で、戦いの無くなった日本を離れた日本の武士浪人達が、外人部隊として活躍したそうです。

 アユタヤ王朝は、1767年にビルマのコンバウン王朝に滅ぼされますが、ビルマで内戦が発生し、再びタイ人国家が成立していきます。アユタヤは徹底的に破壊されてしまっていたため、首都は現在のバンコックに移ります。周囲は東にフランス(ベトナム)、西にイギリス(ビルマ)、南にイギリス(マレーシア)の植民地がありましたが、イギリスとの関係を作ることにより、独立を維持したようです。

 まずは三大寺院であるワット・プラケオ(エメラルド寺院)、ワット・ポー(涅槃仏)、ワット・アルンです。
 そしてアユタヤ
 スコータイの世界遺産を訪れるといいでしょう。
 南部には、プーケット島を始め、美しい白砂のビーチが広がります。
2021/5/10(Mon) 1,810 / 1,989 miles = 91.0% (42th)
 こじかにさんは出雲まで到達、ばーらさんは意表を突く逆走開始で、まだまだ目が離せませんね。いつでも地域7を終了してしまいそうな勢いなので、こちらもタイからミャンマーに移動したいと思います。タイからミャンマーに向かう道ですが、国境は1,800qあるんですが、船以外で通過出来る場所は2か所しかありません。我々のコースは、一番マイナーな場所で、踏切みたいなものがあるだけです。一方、もう1か所は橋を渡るコースで、”Friendship Bridge”と名付けれれています。両国の交流増加のために、現在では大きなチェックポイントと橋を作ったようです。

 まずミャンマーの基本情報ですが、(およそ)5,400万人、面積は日本の1.8倍です。『およそ』の意味ですが、ロヒンギャ問題含めて、人口を正確に把握していないようです。この国を理解していく上で、タイと同様に歴史から入らなければいけません。1044年に初めてのビルマ人によるパガン王朝が誕生します。その後に誕生したタウングー王朝は、タイから東ベンガルまで領地を拡大しますが、その後内戦、そしてイギリスとの戦争に敗れて植民地となります。それと同時に、インドのアッサム地方などの領土を失います。植民地支配で禍根を残すきっかけとなったのが、民族による分割統治です。軍と警察を山岳民族、金融をインド系、商売を中華系、そして最下層とされたのがビルマ人です。このイギリスの植民地支配の拠点となったのが、ラングーン=ヤンゴンです。イギリスと同レベルの高いインフラ整備を行って、ヨーロッパのような美しい街並みが出来ました。その後の大戦で日本軍がイギリスを追い出し、日本の敗戦、イギリスの再支配、そして独立運動という流れは、他の東南アジア諸国と同じです。少し異なるのが、社会主義政権を目指したという事です。後に軍政、形だけの民主主義、そして現在のクーデターと、非常に混沌とした政治情勢です。中国からインド洋へと抜けられる地形がゆえに、中国との関与も重要となっています。こうやって東南アジアを旅していくに、いかにヨーロッパの国々にもてあそそばれたのかが、見えてくると思います。

 現在はかなり危ない状況ではありますが、観光の視点からすれば非常に興味深いものが多いです。タイと同様に仏教国家で、多くの寺院を訪れることが出来ます。



 まずは、旧首都のヤンゴンの観光、シュエダゴン・パゴダ、スーレー・パゴダ、そしてチャウタッジー・パゴダです。パゴダ=仏塔=五重塔と考えれば、しっくりくるかもしれません。郊外のGolden Rockも行ってみたいですね。


 そしてミャンマー北部で是非訪れたいのが、バガンです。世界三大仏教遺跡と言えば、カンボジアのアンコールワット、インドネシアのボロブドゥール、そしてここミャンマーのバガンなんです
2021/5/11(Tue) 1,838 / 1,989 miles = 92.4% (42th)
 こじカニさんは島根県浜田市を通過、残りは200kmを切ったぐらいでしょうか。ばーらさんも島根県益田市を通過して東進中、もしかすると2人はすれ違うのでしょうか? お二人とも、事故に気を付けて頑張ってください。
 ミャンマー国内ですが、Google streetがあまり存在せず、どこを走っているのかよくわからない状況が続いていますが、地域7のゴールは、インパール近くのミャンマー=インド国境です。

 この辺りの地形はよくわかりにくいのですが、インド=ミャンマー=中国の位置関係を知れば、なぜインパール作戦が行われたのかもわかるでしょう。航空支援も行われましたが、Ledo Road, Burma Roadは、中国戦線の生命線でありました。現在でも、ミャンマーから中国の昆明にパイプラインが敷設されており、中国のエネルギーの生命線であることがわかります。

 さて次の地域8ですが、インドとバングラディシュを走りますが、周囲のブータン、ネパール、チベット、スリランカも紹介しながら進んでいきたいと思います。メッセンジャーの方も、走行メンバーの新しいグループメッセージを立ち上げますね。



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