Weekend 2014 November(3)



 11/22(Sat)-23(Sun) Tulsa, OK

 アメリカ50州マラソンも、いよいよ佳境に入ってきた。もう完全に射程距離に入ってきたわけだが、しかし過去の経験上行けるチャンスがある時は、とりあえず走っておけという教えがある。全力を出しきったRichmond Marathonの後ではあるが、ぽっとあいた日程にマラソンカレンダーを照らし合わせて、Tulsa, Oklahomaに参戦することとした。今回はチケットも高かったので、行きはダラス経由のアメリカン便、帰りはヒューストン経由のユナイテッド便とした($467.19)。
 ダラスで乗り換え、ここには飛行場に散髪屋さんがあったりする。
 そして、雨模様のタルサに着陸する。飛行場には、大きな石油開発の絵が飾られている。レンタカーは、アラモのヒュンダイであった。驚いたことに、一日のレンタル料金は$18.45であった。
 この町の創立は1898年と言うことで、アメリカの建国の歴史からすれば、比較的新しい町であると言えよう。すぐにダウンタウンにあるエキスポに向かう。エキスポに行くと、Route 66がらみなのであろうが、年季の入った車も展示されていた。しっかりと明日のRoute 66 Marathonのゼッケンをゲットする($118.62)。 
 次に、夕暮れまでの時間を惜しんで観光にいそしむ。まずは、川向こうにある大きなUS-66のモニュメントだ。このRed Forkでは、タルサで最初の油田が掘られた場所だ。1901年6月25日のことであった。この油田の発見から、"Oil Capital of the World"として発展していくのだ。Titusville, PA(1st well in the US)のような山あり谷ありというわけでもなく、だだっ広い平野部での発見というのは、興味深いものである。
 後にRoute 66が建設されたために、周囲にはノスタルジックな看板やお店が多い。
 次に大きな産出量を誇ったGlenpoolにも行っている。こちらでの初めての原油の産出は、1905年11月22日だ。非常に狭い地域での算出だが、合計340万バレルの算出を見た。
 次にダウンタウンに戻る。石油の町としての一面とともに、この町タルサにはRoute 66の中継点であったという一面がある。

 アメリカの西への発展を支えた交通手段が、当初は川や運河、それが19世に入り鉄道に、そして20世紀に入るとそれまでの馬車から車を用いた道路が発展していく。東部の有名なのがUS-40であるならば、西部で有名なのはこのUS-66であるのだ。この道はシカゴからロスアンゼルスまでつながるもので、1926年にアメリカ最初の国道として認定されたものだ。各地で片側2車線の道が残るとともに、それに沿って昔懐かしい建造物が残っているのだ。
 馬車から車へ、時代を支えた道路であり、Mother Roadとも言われている。(スタインベック、怒りの葡萄)
 しっかりとしたモニュメントも建設されている。
 隣には、その後にとって代わったI-44が橋を架けている。川向こうには、石油精製施設であろうか、天然ガスのプラントであろうか、依然原油に関わる産業が多いことを示している。特に最近ではシェールオイルの産出が多く、全米で5本の指に入る石油産出州(TX, CA, ND, AL)のひとつである。(そのせいであろうか、昨今では地震が頻発しているそうだ。)

 次に町の一つのシンボルとなっている、Golden Drillerへ。高さ23mの像は、国際原油博覧会(?)で建設されたものだ。櫓は、実際にオクラホマ州で石油産出に使用されていたものだ。

 次にRoute 66へ。オハイオでも有名なArby'sだが、この町ではネオンを使用しているのが印象的であった。また、これも歴史的建造物として保存されたMeadow Gold(乳製品)のネオン看板、雰囲気のある看板だ。
 明日のマラソンコースにもなるUniversity of Tulsaは、クリスマスの飾りつけがなされていた。
 暗くなっても、周囲には多くのUS-66関連のお店があった。 

 Mother Road, America's main street、いろいろな別の呼び方があるが、多くの人が西へ向かう手段となった道路だ。

 1953年開業のモーテルは、古いネオン管を今でも使用している。右のガソリンスタンドは、オクラホマベースの全米ガソリン小売店だ。

 スーパーで買い物をした後($8.36)、最後に明るいうちに見つけられなかったRed Forkの看板を見つける。Red Forkの川沿いのエリアは、現在では石油備蓄基地となっているようだ。宿泊は、町の南西にあるAmericas Best Value Inn Tulsa West($45.69)だ。マラソン旅行では安い宿に宿泊するようにしているが、綺麗でレース後のシャワーも浴びさせてくれた。

 今日のレースは8時スタートと少し遅いので、朝食は5時半ごろに済ませる。スタート地点とゴール地点が1km程度離れているのだが、その間には多くの駐車場があるが、多くの人が路上駐車をかましていた。(私は2nd streetに駐車した。)
 コーラルは4つあるのだが、私の申し込みが遅かったのか、一番後ろのコーラルに入れられてしまった。そこで、交渉して第一コーラルに入れてもらった。

 ハーフとの混成スタートなのだが、マラソンが1,685人、マラソンリレーが181チーム、ハーフが4,162人だったそうだ。最初の道幅は4車線以上あるのだが、混乱を避けるためにはフロントローからのスタートがいいだろう。

 8時にスタート、噂には聞いていたのだが、最初から小さなアップダウンが現れる。入りの1マイルは7'41''で入る(ビル群の中にいると誤差が多いか)。完全にフラットではなくて、小さな登り下りがあるので、ややペースは抑え気味に入る。1マイル走れば、集団もばらけてくる。2マイルは7'24''だ。ハーフとの混成スタートは、自分のペースを守ることが難しく、一定のペースで走るマラソンランナーを探すのがポイントだ。

 コースは住宅街を通ることが多く、これといった展望が期待できるわけではない。クルーズコントロールで走りたいのだが、結構曲がりくねった道やアップダウンがあるので、一定のスピードで走るというわけにはいかない。3マイルが7'13''、4マイルが7'28''、5マイルが7'17''、この辺りには築100年ぐらいの値段の高そうな家なども見受けられる。

 6マイルを7'12''でこなすと、大通りに出る。住宅街を走る時はあまり感じなかったが、大通りになると強い南風を感じる。うまく風除けランナーをとらえて、セーブする走りに徹する。7マイルを7'16''、ルートが西向きになると逆風もましになる。8マイルを7'13''、9マイルを7'20''、10マイルも7'20''、11マイルが7'26''、ここでArkansas Riverへの橋を少しだけ渡るのだが、凄い逆風をこなさなければいけない。

 更に、その後ダウンタウンへは緩やかな登りが待っている。そのため12マイルは7'53''となる。
 かなり集団がばらけてきて、この先でハーフの集団を左に分けることとなる。
 13マイルは7'42''、ここからは緩やかな登りと強い風に苦しめられる。14マイル7'36''、15マイル7'44''、16マイル7'55''、17マイル7'58''、依然小さなアップダウンや曲がり角があるので、ペースを一定に保つのに余分な力を使わなければいけない。
 17マイルを超えると北上するので、やや風は優しくなる。18マイルが7'44''、19マイルが7'58''だ。この先で、University of Tulsaの構内に入る。20マイルが7'54''、21マイルが7'57''、この先で再び激しい逆風を受けることになる。22マイルが8'23''、更にアップダウンに苦しめられて23マイルが8'48''だ。
 この先で緩やかな下りと追い風で、ペースをやや上げていく。8マイル以上の差があるのだが、まだまだ後続ランナーが登っていった。
 24マイルが8'01''と盛り返すが、足はかなり一杯一杯のようだ。
 25マイルが8'30''、ダウンタウンに帰って来る。
 この先で、このレースの珍しいポイントであるCenter of the Universe Detourに入る。余分に500m以上走るので、あまり参加者が少ないのであろうか、私が迂回コースに入っていくと、大きな声援が上がった。(実際70人のランナーのうち、5人しかこちらのコースに入っていないことが後日分かった。)折り返し地点にはビールもあったが、ちょっとそれどころではなかった。このコース自体がかなりのアップダウンなので、かなりのストレスにはなるであろう。しかしその代償として、素晴らしいコインをもらうことが出来る。
 26マイルを8'34''でこなして、最後の0.5mileに入っていく。ここにもきついアップダウンが残っており、登りに苦しめられる。時計を見ると、何とか3時間25分以内(=ボストン参加資格)を切れそうだということがわかり、最後の力を振り絞る。
 最後は3'06''でゴールへ。タイムは3:24'49''、70位/1,682人であった。先週のレースよりもタイムは悪かったが、順位は5パーセント以内に入っていた。26.2mileとした場合は、3:22'50''(61位)であった。
 メダルはかなりしっかりとしたものだった。コインも重量感があり、56%のランナーが迂回ルートに参加しなかったのは、もったいない話だ。
 ホテルに戻ってすっきりした後は、早速観光モードに戻る。マラソンコースに近いのでどうかと思っていたが、規制は解除されているようだ。この町の一番のアトラクションとされる、Philbrook Museum of Artを訪れる($12)。町を走っていて気が付いたことでもあるのだが、この田舎町にしては(失礼mOm)高級な家が多いなと思っていた。理由は、石油で大きな財を得た人が多いということだ。この美術館もそのパターンだ。大きな邸宅と、それに伴う美術品を展示しているというものだ。(余談になるが、オクラホマのバスケットボールも、その石油で出来たものだと言えよう。)
 ただし絵画自体は、大都市の美術館と比べざるを得ないので、ややインパクトに欠けるであろう。
 地元の学生による、お菓子の家なども展示されていた。
 こちらはこの季節ならではの、クリスマスツリーだ。
 ここで特筆すべきは、庭ではないかと思う。花の季節に訪れるといいのであろう。
 石油によって出来た町であることが、再認識できるであろう。
 ふと時計を見ると、レンタルカーの返却までにまだ1時間弱あるようだ。折角なので、Gilcrease Museumにも行ってみる(AAA割引$7)。当初は外部だけと思っていたが、小さな美術館なので内部にも入ってみる。こちらのテーマはしっかりとしていて、Native Americanの歴史などを伝えるものである。美術品の価値としては先程の美術館に劣るのであるが、この州ならではの企画であるだけに、私にとってはこちらの方が心に響く美術品が多かった。
 ガソリンを給油して($11.17)、レンタルカーを返却する。29分までの遅刻は、課金されないそうだ。帰りの飛行機はUnitedでHoustonへ。多くのランナーがメダルをかかえていた。Houstonからは機材の故障、雷雨などでかなり遅れてしまい、家にたどり着いたのは25時過ぎであった(Parking $10)。
 なかなか訪れることの無いであろう町であったが、オクラホマについていい勉強になった訪問であった。これで全米50州マラソンは45州制覇となったが、これからもこんな小さな旅は続けていきたいものだ。


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