2004 Thanksgiving in MD,VA



  11/28(Sun) 4日目 Washington DC→Cleveland
 南軍の首都でもあったRichmondを散策する。ここは現在はVirginia州の州都にもなっているため、高層建築物も多い。まずはRichmond Battlefield ParkCivil War Visitor Centerに行く。ここはJames Riverを利用した運河の発着所として栄え、余浄水を利用した水力で鉄鋼関係の工場が多かったエリアである。

 今回ここを訪れた一番の目的は、『どうしてワシントンとこれほど近い町が南軍の首都であったのか』という疑問を解決するためである。その答えは、この工場跡地が全てを物語っていると思うのだ。南部にはこれといった工業も無く、奴隷を用いた農業主体の産業であったが、これだけでは戦争を継続させることは出来ない。弾薬・大砲などの製造には欠かせない工業がこの町にはあったからである。また鉄道・水運の要であったともいえよう。
 Richmond Battlefield Parkには、ここを含めて5つのVisitor Centerがある。とても一日で回りきれるものでも無く、私もNPSのお勧め通り、Civil War Visitor Centerだけを訪れたが、妥当では無いかと思う。ここには見るべき施設があるのに対して、他は古戦場の跡地だけである。アメリカの古戦場の場合、地形を生かした攻め・守りが少なく、真正面からの勝負が多いので、日本の古戦場を巡る面白さには少し欠けるような気がする。

 Richmondを巡る攻防は、終戦時だけかと思っていたが、1862年にもあったそうで、北軍のPeninsula Campaignの際の進行を止めた将軍LeeによるSeven Days' Battleがあったのだ。また1864年からの最終局面での戦いでは、Cold Harborという場所で多くの北軍の犠牲が出たそうだ。アメリカの戦争の上手さは、アメリカ大地に流れた同胞の血から得られたといっても過言では無かろう。

 このVisitor Cneterでは、いろいろな展示品やビデオ、Richmond陥落2日後に南軍の首都を息子と共に訪れたリンカーンの像、そして運河の跡を見ることが出来る。ちなみにリンカーンのRichmond訪問は1865.4.4で、彼が暗殺されたのはその10日後の4.14のことである。
 ダウンタウンには南軍のホワイトハウスと呼ばれる建物が残っている。ワシントンの像と、Stone wallと呼ばれていた南軍の英雄ジャクソンの像がある。

 Chesapeake Bayをぐるっと回って、やっとWashington DCに戻ってきた。というのも、今回National Air and Space Museumで気がつかされたのだが、これとは別の展示がDulles Airport近くで始まったというのだ。飛行機大好きの私としては、行かないわけにはいかない。ただ入館料は無料だが、駐車場代が$12とられた。

 ハンガーに入ると、まずはSR-71 Blackbirdが正面に出迎えてくれる。そしてP-40 Earforkだ。

 A-6 Intruder、F-4 Phantom, Mig-15, F-86A Sabre, Mig-21が並ぶ。
 桜花、紫電改、P-38 Lightning、P-47 Thundervoltが並ぶ。
 そして今回のここでの大きな目的の一つであったEnola Gayである。長崎に原爆を落としたBoxcarは見たことがあるのだが、これは前回のDC訪問の際にも展示はしていなかったものである。今回教えてもらったことであるが、このB-29は原爆を落とすためだけに作られたものであるということだ。余分な機銃は詰まれていないし、レーダーなども装備されている。つまりはあの時点での日本には、B-29を迎撃する力は全く無いにも関わらずアメリカは最後のとどめをさしにいったということだ。
 近年就航を終えたConcordeも展示されている。マッハ2の速さを生み出すための、納得の構造であった。出来ることなれば、内部も一般公開して欲しいものだ。
 そしてここの目玉がSpace Shuttle, Enterpriseだ。この11月から、一般公開されるようになったそうだ。
 ここでもアメリカの国旗が使用されていた。そして耐熱タイルは綺麗に補修されていたが、過去の2つの事故に関しては全く記載されていないのがやや不自然であった。

 今後まだまだ拡張予定であるようなので、是非HPで確認してから行かれることをお勧めする。
 最後に、展望台から空港の離発着の様子を眺める。飛行機が大好きならば、いろいろな種類の旅客機を眺められるいいポイントである。
 今回の旅もいよいよ最後となってきた。最後にMD,VA,WVの州境にあるHarpers Ferry NHPに到着する。ここはPotomac RiverとShenandoah Riverの合流部に位置するのだ。ここも全く下調べしていなかったのであるが、Visitor Centerの前に行くとシャトルバスが停まっている。ちょっと立ち寄るだけのつもりだったが、折角なのでバスに乗ってみることにする。行き先はちょうど川の合流部の旧市街だ。駐車場が無いので、こういうシステムをとっているようだ。
 Yは大好きなバスに乗ることが出来て大喜び。ずっとバスの歌を歌っていた。

 市街は石畳で多くの民家が残されている。鉄道も通る交通の要所である。Ohioの平野にいると、こういった山川の景色が懐かしい気がする。

 さて、この場所がNational Historical Parkに指定されているいわれであるが、その地理的要因とその歴史にあるようだ。もともと何も無かったこの場所は、多くの偉人が足跡を残した場所であった。1799年に合衆国の兵器工場・兵器庫が作られてからきな臭い感じがしてくる。1803年には西部探検のLewisに兵器・技術を提供、19世紀前半にはC & O canalおよびB & O railwayの建設で発展していくことになる。そして1859年10月にJohn Brownがこの兵器工場を襲い、奴隷解放を訴える事件を起こしてから、歴史の表舞台に立つことになる。この事件が南北戦争の一つのきっかけになったことは確かである。
 南北戦争が開始されたのが1861年4月12日、Virginia州の連邦脱退が4月17日、その翌日には連邦政府軍は兵器庫に火を放ち武器を焼却するが、製造機械はJacksonの働きで(彼の初戦)南部に送られることになる。ちょうど南北の境にあったこともあり、その支配は8回も変わったが、南軍の北部への進撃へ果たした役割は大きいであろう。

 歩道橋でPotomac川を渡れば、そこにはC & O CanlのLock 33が歴史から忘れ去られたようにポツンと存在していた。現在では非常にちっぽけな町であるが、アメリカの歴史が凝縮された場所であるともいえよう。

 日も沈む中、Clevelandに向けてひた走り、22時過ぎには帰着した。1400mileの旅であった。今回は博物館・南北戦争に絡んだ旅であったが、なかなか楽しめた旅であった。National Park関連も6つ、スプーンも4つもゲットしてしまった。
残念ながら時間が無くて、Antietamには行けなかったので、今度機会があれば是非行ってみたいものだ。



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