2004 Boston Marathon



  4/17(Sat) 1日目 Cleveland→New Port→ New Bedford→Cape Cod NS→Prymouth→Boston
 ボストンマラソンへの参加というのは、ここアメリカにおいては、一種のステータスがある。というのも、アメリカでは一番歴史のある大会で、多くの人に知られているとともに、最近は参加するためには、出場資格を得なければいけないからだ。かといって、日本の東京国際マラソンのような一部のアスリートだけが参加するのだはなく、一般市民ランナーも実現可能なレベルに参加資格を設定しているので、市民ランナーの目標になりやすいのだ。
 ここアメリカに移住してから、漠然とマラソンに熱を入れた私ではあったが、自己タイムの向上とともに、ボストンマラソンというものが現実味を帯びて見え初め、ついには昨年5月にシンシナティマラソンでその出場資格を得ることが出来た。今回は待ちに待った、ボストンマラソンへの参加、そして歴史あるニューイングランド地方の調査を行うために、Clevelandを愛車で出発した。

 今回も『Yの寝ている間に移動作戦』ということで、夜の22:30にClevelandを出発し、I-90を東進する。
 天気も良かったので、案外楽にHudson Riverを渡りMassachusetts州に入る。道端にはまだ雪があり、びっくりさせられる。
 今回の旅行の目的の一つ、『アメリカ50州制覇』のためにConneticut州に入り、Hartfordを通過する。この州は全米でも一番裕福であるとされる州だ。そうこうしているうちに寝ていたYも起き上がるが、旅行が好きになってきたのか、ぐずったりしなくなった。更に東進し、Rhode Island州に入る。
 US-1を通り、Bell Bridgeを通って今回の目的地の一つであるNewportに到着する。
 この町は1639年の開設で、19世紀の上流階級の別荘が数多くあった所である。これらのマンションは、一般公開されているものが多い。情報はここ。我々は車で周囲を散策する。確かに海沿いで雰囲気はいいのだが、現在ではやや落ちぶれた感があり、少し物足りない感じがした。
 近くのFort Adams State Parkに行ってみる。砦としては結構立派なもので、南北戦争前に作られた砲台が湾の入り口をにらんでいる。公式HPはここ。しかし、実際に戦闘は無かったようだ。
 車を進め、第二の目的地であるNew Bedfordに向かう。捕鯨で有名であったこの町は、National Histolical Siteに指定されており、町並みが良く保存されている。まずはVisitor Centerを訪れた後、保存区域の中心部にあるWhaling Museumに行ってみる。入場料$10。館内の大ホールには、大きな鯨の骨がある。ちょうど今日から『ジョン万次郎』の展示が始まっており、非常にラッキーであった。日本語の解説も数多くあった。万次郎は、この隣町のFairhavenに住み、勉学に捕鯨にいそしんだそうだ。彼の故郷である高知の土佐清水市とは、姉妹都市になっている。
 日本の幕末において、万次郎の果たした役割も大きく、非常に興味ある展示も多かった。
 最上階には、捕鯨船も一部展示してあった。Yは『Ship』に乗れて御満悦。展望デッキからは、大西洋が見渡せ、非常に気持ちがいい。

 今では商業捕鯨を否定しているアメリカであるが、その昔は大捕鯨国であった。それも、鯨油をとるためにだけ捕獲していたというのだ。文化の違いといえばそれまでだが、世界をまたにかけて捕鯨を行ってきた国に、わが国の捕鯨をとやかく言われたくはないものだ。アメリカの捕鯨に関しては、あまり大きくは日本には聞こえて来ない情報でもあり、非常に興味ある博物館であった。
 更に東進して、Cape Cod半島の付け根にある、Cape Cod Canalを通過する。何とこの鉄橋は、1935年の完成だそうだ。
 Free wayをとばして、第三の目的地であるCape Cod National Seashoreに到着する。大西洋の荒波がまぶしい。砂はやや荒い感じでLake Erieのものとは明らかに異なる。Yは砂と戯れてご機嫌さん。
 半島の最先端まで行ってみる。この道はOhioをも貫通する全長3,517mileのUS-6だ。国道の中では二番目の長さになる。国道の基点には何か標識があると思ったが、それらしきものは無く、最後の標識の写真をゲットする。周辺は砂丘になっていて、ハイキングには気持ち良さそうだ。Provincetownに寄った後、Bostonを目指す。
 途中、Plymouthの町で途中下車。ここは、1620年の清教徒の上陸地点として知られている。まさにここからアメリカの開拓が始まったといても過言ではなかろう。復元されたメイフラワー号が係留されており、アメリカへの第一歩とされる(どこにでも転がっていそうな)Plymouth Rockは、立派に保存されていた。
 開拓当初は開拓は困難を極めたそうであるが、Indianの助けにより開拓は成功していったそうだ。まさにIndian無くして現在のアメリカは無かったわけであるが、その後のアメリカ人によるIndianへの仕打ちは、まさにアメリカ人らしさを象徴しているような気がする。
 暗くなる頃、Bostonの町に到着する。予約しておいたChandler Innにチェックインした後、Chinatownに出撃する。潮洲菜館というお店に行くが、やや味付けは薄味であった。


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