2003 Thanksgiving in Washington



  11/28(Fri) 2日目 Washington DC→Shenandoah NP
 朝早くから、White House見学の申し込みに行くものの、下調べ不足で、今はやっていないことが判明。Constitution Hallの前を通って、ホテルに帰着。
 ホテルは朝食付きの所なので、腹いっぱい詰め込んで出撃する。
 あいにくの小雨の中、Arlington National Cemeteryに向かう。独立戦争からの戦士者と、軍人・家族のお墓がある。この広大な土地は、南軍司令官であった、Lee将軍の土地であった所だ。北軍が撤収して、北軍の戦死者のお墓になったのがはじまりなのだが、南軍の戦死者はいないところがアメリカらしい。まずは、JFKの永遠の炎を見学。Yはお腹一杯で寝てしまった。

 次に、よくセレモニーが行われる、無名戦士の墓を見学。24時間、衛兵がお墓を守っている。
 今回のWashington訪問の一番の目的であったわけだが、改めて日本の国立墓地の必用性を痛切に感じた。国のために身を捧げた多くの人々の沈魂として、靖国神社というものが宗教分離ということで批判を受けるのであれば、早急に国立墓地を作るべきであろう。愛国心の象徴、そして国家としての団結を保つためにも、必用だと思うのは、私だけであろうか。

 Washington市内は多くの一方通行があって、迷いながらPentagonの前を見学。FloridaでみたUS-1はWashingtonを通過することに気付かされる。最後に、Lyndon B. Johnson Memorial Groveから、Potomac Riverをはさんで、Washingtonを望み、Washingtonを最後にする。

 I-66を西に向かう途中で、Manassas National Battlefield Parkに立ち寄ってみる。Manassasという名前に聞き覚えが無いならば、Bull Runと言った方がいいかもしれない。南北戦争での最初の激戦地である。北軍の南下に対して、南軍が応戦するというこの戦いでは、数では優位な北軍が敗退したことで、南北戦争長期化を示唆する、重要な戦いであった。Visitor Centerには、多くの展示品やビデオ展示がある。『全日本お城研究会』を自負している私としては、地形なども参考にしたかったのであるが、標高差は乏しい、農地が続いているだけだ。

 天気は悪いのであるが、Shenandoah NPの道に入り、Visitor Centerに向かう。『○○汐音』の漢字を発見した。我々の間には10人。朝早く来たに違いない。
気温は15度、曇りであった天気も雨になる。予定していたキャンプ場に到着するも、風雨が激しいため、『これはおらんわ〜』、と思っていたら、山○号を発見!
 協議の末、麓のLurayの町で安いホテルに宿泊することとする。いつものパターンで、ホテルの中で自炊。メニューは『キムチ鍋』。
 4人子供がそろうと、なかなか騒々しい。
 DVDやらで、退屈しないようにする。本来はボルチモアのO先生も合流するはずであったが、携帯の不調で合流出来ず。O先生、ごめんなさい。


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