Running (2007.1)


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内容
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コメント
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      今年の抱負 と、ふと考えてみたが、あまりにも流動的で具体的にあまり見えてこない。とりあえずは3つの道を着実に一歩ずつ歩いていくことが目標となろうか。少しはレールが見えてみたら、それなりにTaskを課していこうと思う。
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       復習+48/48問。ブランクありだが、60%キープ。
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       仕事始めの雑務いっぱい。Interviewの用意で問題はこなさず。最後のわらすが攻撃で、Dr.Mに電話攻撃をお願いする。Program managerとは親しいそうだ。後は自分の力を出し切るだけ。
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Dr. DeBakey 胸部外科医ならずとも、その名前は知っているのではないだろうか、DeBakey先生のことを。私も日本にいる時に、一度だけ講演を聞かせて頂いたことがある。お年97歳、Aortic dissectionの分類で有名な先生だが、Aortic dissectionで入院・手術を受けられたそうだ。一度は手術を拒否、その後の手術への経緯も伺えて興味あるニュースだ。

ttp://www.naplesnews.com/news/2007/jan/01/patient_was_97/



 実験。今日は明日のInterview前のResidentとの夕食。今までに多くのDoctorを見てきたせいか、英語と言えども会話をして数分で、その立ち居振る舞いなどからその人となりが見えて来るようになった。Dr. Fung, Dr. Sipersteinの素晴らしい人格が感じ取れ、またCandidateはInternational、ResidentもInternational、女性Residentが多いのが特徴であった。どちらかというとこのDepartmentはScientificというよりも、Factoryのような印象であり、逆に私を売り込めるポイントであるように感じた。

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      Interview いよいよCCFのInterviewの日である。前回の帰国の際に新調した背広に、初めて腕を通し、いざ出陣。昨日はCandidateが少ないなとの印象であったが、やはり切れそうな志願者は昨日は顔を出さなかったのか全員で16人、実質この中で一番にならなければいけない。8時から、型通りのDepartment HeadのDr.Fのプレゼンの後、Program ManagerのDr.Sの挨拶、そしてChief Residentによるプレゼンだ。そしてその後9時からいよいよ面接だ。Program managerのDr.Sかと思いきや、8人X2回の面接であった。Dr.Fは面接していなかった。私はDr.FとDr.B。

 まずはDr.Fであるが、部屋に入るなりかなり好意的で破顔だ。しっかりと我々Candidateの願書を読んでいることが、言葉の端々に伝わっており、彼らにとって一番の疑問である『どうして戻るのか?』という話をするぐらいで、『Cleveland Clinicについて、、、もう知っているから質問も無いよね、、、。あなたのこと、高く推薦しておくわ』で終了。こちらも最後にジャブをかまして終了。ちょっと拍子抜け。

 次にDr.B、部屋に入るなりこちらも破顔、publicationの数がかなり効果的だったようで、私のことをかなり気に入ってくれた様子であった。Dr.Bの疑問も、『本当にStaffからresidentに戻るのか?』であった。私のInterview評価表を垣間見ることが出来たが、私の前にインタビューされた人は真ん中評価のようであったが、私は殆ど右側一色であった。

 自分が緊張してしゃべれるかな、と思っていたが、あちらの表情にも助けられ、緊張すること無く普段通りに会話することが出来た。自己採点は90点くらいか。私の大学の成績は芳しくないし、USMLE scoreもsuperではない。もちろん人格・手術手技なども大切なポイントであるが、しかしCVに厚みを増すことは各施設・ポジションでの、各個人のポテンシャル・順応性を示す指標であると信じている。

Reviewer of Manuscript for (1) Ann Thorac Surg, (2) Int J Cardiol, (3) Chest
2004.11.21 Philadelphia Marathon: 3:04:47, 294/6282 finishers.


 CVにすればたった2行の記述、されどこれに至る課程をしっかりと理解・評価してくれたことは本当に嬉しかった。『これで駄目ならしゃあない』、との満足感の残るInterviewであった。

 1月15日からランキングの開始、2月21日受付終了、3月12日12PM マッチの有無の発表(私の場合これでわかるはず)、3月15日1PM Match Day!! どうなるかは神のみぞ知るだが、また新たな目標を設定して精進していこうと思う。

 積み残していた仕事を片つける。さあ、終わった、終わった、これからは次のStepに向かっていこう!
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12.0

Jog
Int

64.0

日本心臓血管外科専門医への道 Interviewの際にも少し話題にもなったので、少しまとめてみたい。日本の心臓外科成績は、世界と比べてもあまり極端に劣るわけでもないので、あえて制度を変える必要もないとも言える。しかし時代は変化している。右肩下がりの医療費、訴訟の増加、志望者の減少、今まではその成績をマンパワーで補っていたのだが、それらに無理が生じているのを、現在の若手心臓外科医は感じているのだと私は思っている。

 一つのターニングポイントが、2005年の東京医大事件そして2006年の福島大野事件であったように思う。東京医大事件の際には、日本胸部外科学会は、専門医として認定しておきながら(それってずるいんちゃう?)、専門医を剥奪するということで事態の収拾を図ろうとした(とかげのしっぽきり?)。同時に、専門医取得に必要な年間手術数を50例に引き上げた(50例でいいの?)。

 多くの心臓外科医が疑問を持っている中で、福島事件は起こった。何ら証拠隠滅の企図も無いK医師を、その事件から一年以上も経っているのに、福島県警は刑事責任があると判断し逮捕し日本中の医師を震撼させた。日本産婦人科学会は東京医大事件の時とは異なり、専門医として認定しているK医師を擁護する立場をとった。なぜならば、世界でもトップレベルの日本の産科医師レベルのスタンダードを決めるのは、裁判所・警察では無く、医師であるべきであると認識しているからだ。

 これら2つの事件から我々心臓外科医が疑問に感じたこと、
その1、専門医とは何か?
その2、専門医としてのスタンダードは十分なのか?
その3、専門医トレーニングは、どうあるべきなのか? カリキュラムは?
その4、同様の医療事故が発生した際に、今度は日本胸部外科学会は、専門医を擁護してくれるのか?

 そして学んだこと、
その1、学会は頼りにならない。
その2、常に訴訟のリスクは背負っている。
その3、マスコミ・警察・世間の医療バッシングは、留まる所を知らない。

 現在日本の心臓外科手術を50,000例とすると、1人50例ということであれば、1,000人の心臓外科医が必要になる。しかし現在の専門医は、既に1,848人が存在する。コメディカルの極端に少ない日本では、心臓術後を支えているのは、この他の若手心臓外科医2,000人強であるという現状である。もちろん個人個人は、外科医の腕を磨くことに励まなければいけないのは基本として、現在学会に求められていることは、
1、常に医学の向上を目指しながら、
2、日本全国の手術成績の集計
3、実情に合った専門医としてのスタンダードの確立
4、手術領域、術後管理領域でのコメディカル充足への運動
5、コメディカルが期待できないならば、魅力ある『術後管理医』としての仕事の構築
6、集約化が必要であるならば、そのシステムの構築
7、診療報酬含めて、国民医療費再考を政府へ提言

 これが、昨年日本に帰国した際の現場の生の声であったと思う。皆様どう思いますか?


 たまっていた家の雑用をこなす。夕方にNCラン、Intを入れて刺激を入れる。体重測定をしてびっくり。いかん、いかん。96/144問。難しいUWだが、50%はコンスタントにとれる。正解率もUW Step 2の時に似ている。

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       KAPLAN Ethicsを一冊、102/246問。短いが、それなりに勉強しやすい本であった。CのAHA grantの修正。
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       実験AtricureX2、Cのグラント。今日は、金曜日の面接から週末を挟んだ月曜日だが、Program DirectorのDr.Sの秘書さんから、Dr.Sとの面接の誘いが届く。あちらの対応が異様に早いので、次の面接で決まりそうな予感がする。D-Dayは水曜日だ。いきなり面接するなり、『non-cateでなら、、、』、と言われたくないので、しつこいくらいのわらすが最終攻撃を、ボスにお願いする。Cのグラントで深夜まで、自分の勉強なし。

 Communication、全く知らない人を雇うのだから、あちらからすれば少しでも情報を得ようとするのは当然のことである。日本人はややもすると黙っている謙譲を評価されたりもするが、しっかりと自分の思いを伝えるのが大切だと信じて、気後れすることなくInterviewに望みたい。
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       Cのグラントの面倒、何とか体裁は整った。UW48/294問、私の正解率は悪いが、全体の正解率とほぼ同じなので、気を落とすことなく自分の力となることを信じて、問題を解き続けること。
 明日こそ最終決戦かな? Dr.SのPaperに目を通す。
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Interviewその2 約束の時間を過ぎて待つこと40分、ようやく手が空いたようだが、いきなり手術室に呼ばれたようでDr.Sの機嫌悪し。手術室までお供をして、その後Officeへ。聞かれるというよりも聞いていることの多い"Interview"であった。まとまりの無い話に終始したのであるが、結論は、『君のキャリアは素晴らしい。心臓外科を目指すならば、外科で4年を費やすよりも、他にいい道があるのではないか』、と理解した。『他のいい道』を、大御所のDr.L、私の推薦者であるDr.Nに私が相談してみて、その後にまたDiscussionしましょう、という結論であった。
 
 英語でのニュアンスはわかりにくいのだが、ものすごい遠まわしに断られているような感じがした。というのも、いろいろな心臓外科の先生に相談して、私が長期間悩んだ末の心臓外科領域の将来に対する結論に対して、外科の先生からいきなりこの選択を否定されたようで、ここに来て門前払いの感がして、非常に複雑な気持ちになったからだ。

 早速Dr.Nに相談してみるが、私の選択がベストであることを確認したのみ。ちょっと敷居が高いが、Department HeadのDr.Lに突撃をかける予定。Totally outではないが、やや旗色が悪いか。他の道を探していく必要がありそうだ。今日はちょっと疲れた。勉強せず。

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      IACUC 動物実験をしたことのある人なら必ず聞いたことのある、Institutional Animal Care and Use Committee。日米の大きな違いの一つが、この動物実験に関するregulationの厳しさであるように思う。経験した時代的なbiasもかかっているのであろうが、私の大学院時代は、県の野犬処理場まで犬をとりに行っていたものだ。PAあけたらフィラリア君がいっぱいいることは日常で、あれで心機能の評価をしていたのは、論文自体の真実性まで疑ってしまう。
 所変わってここアメリカであるが、ここでは豊富な資金にものを言わせて、しっかりとしたregulationの下に動物が管理されている。一つ一つの手術手技に関しても報告義務があり、煩わしいといえばそうなのだが、逆に実験の質を上げることにはかなり貢献していると思われる。
 昨日の実験の隣でやっていた別の科の実験が、大変なことになっているようだ。人の振り見て我が振り治せ、しっかりとした実験をやっていきたいと思う。

http://www.bucyrustelegraphforum.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20070111/NEWS01/70111012

 RVAD、わいわいとやるのだが、私が疲れているのか辛抱できずに助手側からどんどんやってしまった。ちょっと反省だが、運針の練習をしていない人に縫わせるのは、本当に根気がいる。
 Dr.Lに突撃メールをうつ。UW48/342問。
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       昨日のRVADは楽勝、今日は実験お手伝い、meeting、論文のrevision、UW96/438問。Cは模擬試験のため、飛行場へ送りに行く。涙を流すYを見ていると、自分達のために『ごめんな』、と思う反面、強く生きていってほしいと思う。週末は少しは遊んでやりたいと思う。
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       秘書さんおよびProgram Managerの応対・言動と、Dr.Sの表と裏の言動がイマイチわからなかったのであるが、ここ2〜3日考えてみるとつながってきたように思う。自分のやってきたことに自信を持つとともに、何事もPositiveに考えて、3月15日を、そしてStep 3の試験を目指して前に進んでいこうと思う。

 UW192/630問。そしてYを連れて動物園へ。(不思議なことに、動物達を見ていると、無性にアラスカに行きたくなってくる。耳に聞こえてくる静寂といい、あの風景だけはアメリカ48州では体験できないものである。)もちろん3食しっかりと作って2人で食べる。今日はNFLを楽しむ。高校野球でもそうだが、準々決勝(正式には準決勝らしい)が一番面白いのではないかと思う。
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      『赤ひげ』の心意気で 医療崩壊が叫ばれて久しいが、世間にはその本質について正しく理解されるのには、まだまだ時間がかかるように思われる。診療科の閉鎖に対して『署名』で対応するのもその一つであり、『赤ひげ』という言葉を用いて医師赴任を呼びかけるのも一つの現れであろう。
 『医は仁術』、その志は私も理解できる。しかし医療に対しては、現在は莫大な経費がかかっている。さらにその費用(保険点数)も、お上に握られている。映画での赤ひげは、お上からの経費削減があったために、富裕層からは莫大な治療費を請求し、貧民層には無料で医療を提供した。現代にも似た『赤ひげ』の状況だが、経済的側面には全く光を当てないまま、そして日本全国で全く議論のないままに、ただ低額な医療を供給することだけのプロパガンダのために『赤ひげ』という言葉を利用するのは、非常に幼稚な日本的な思想であるように思う。

 Visitorである終始劣勢のPatriotsが、相手のミスに乗じて最後の最後に勝ち越した試合、やはり王者の貫禄か、試合の作り方がわかっているように思えた。最後まで諦めないあの姿勢は、何事にもあてはまるように思えた。
 UW144/774問。この3日間とばして勉強してみたが、時間内に片つけることが出来るようになった、点数はほぼ一定・取りこぼしが無くなった、問題のパターンがインプットされてきた。今後UWを片つけて、CCSへ、その後KAPLAN Q bank、(NBME)、再度UW2回目で受験というのが理想的か。ASAIOの抄録を提出したら、registrationしよう。
 嬉しいことに、Dr.Lから予想外に早く返事が返ってきた。今度はCT Program DirectorのDr.Sに突撃メールを出すこと。
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"Ootaki Y"という名前 本日、一つの論文がAcceptされた。足掛け6年以上の難産だった上に、全部で75個目という節目だったので、今までのPublicationを振り返ってみることにした。

 中には日本語で書かれたものでImpact factorが無いものもあるが、First Authorとして35のPublication、合計75のPublicationのうち46.7%を自分で書いていることになる。Impact Factorは、53.890 / 128.293 = 42.0%となる。

 初めて論文というものを書いたのが1997年、初めてのIF JournalからのAceptが2000年。医師になってからかれこれ7年での、やや遅い1st Publicationとなる。現在、学生のAにも書いてもらっているのだが、もしも私が日本に指導する立場で帰るならば、このギャップを埋めるような教育に貢献できるのではないかと思う。

 2000年以後は、素晴らしい指導者・同僚に巡り合えたこともあり、傾きは急になっている。勉強を始めた2006年頃からはその傾きが緩くなっているが、今年7月までには自分に課せられたタスクはしっかりと果たさなければいけないであろう。

 初めての日本語論文を指導して頂いた故M先生、大学で論文執筆を指導して頂いたT先生、私を叱咤激励してくれた故U先生、前勤務先で素晴らしい指導をして頂いたYa先生・Yo先生、そして現在指導して頂いているF先生、、、多くの先生にお世話になり、本当に感謝したいと思う。

 『学会発表しても、5年もすれば誰も覚えていないよ』、『Ootaki君、Finishしなくちゃ!』、T先生の言葉だが、私が21世紀に生きた証として、"Ootaki Y"という名前を胸に、これからも精進していこうと思う。


 今日はMartin Luthar Dayで学校は休みということで、私はYの世話となる。お昼前にクリニックに出撃して、Thomasで遊ぶかたわら仕事をして、予約しておいた予防接種に向かう。UW 48/822問。
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      東北の現場から 偏向報道はあまり感じられない、心にずしりと響く記事を読んだのでここに紹介したい。

ttp://blog.kahoku.co.jp/osansos/2007/01/post_3.html

 集約化が叫ばれているが、最低限集約化された基幹病院の年齢交代に耐えうるだけの新規産科志望者が、毎年全国に必要になってくる。集約化することによって、魅力ある職場になり、産科志望者の増員が見込まれれるならばいいのだが、否であれば崩壊へのただのステップにしかすぎない。後輩への指導が可能な早期に、早く魅力ある医療活動現場を構築しなければ、取り返しのつかないことになろう。シリーズで継続していくようなので、今後の報道を、そしてそういった動きに対する世論の動きを見守っていきたい。

 昨日の今日だが、また一つのAcceptがあった。36 / 76 = 47.4%, IF 55.836 / 130.239 = 42.9%となった。
 さてDr.Sからの宿題であるが、Dr.S→Dr.L→Dr.Sへと話は流れて、今度はCT SurgのProgram DirectorのDr.SのInterviewとなった。これら著名な先生に覚えてもらう・会えるだけでも、わくわく、どきどきすることだ。
 ASAIOの抄録、Aの論文の世話など。復習で今日は問題こなせず(悔)。
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      国としての指針 いったいこの国の医療はどこに行くのか? 時代(国)に翻弄されるこの我々の職業が本当に残念でならない。

ttp://www.asahi.com/health/news/TKY200701170460.html

診療報酬上乗せ、病院限定 看護師争奪を沈静化へ

 全国の病院間で激化している看護師の争奪競争を沈静化するため、厚生労働省は17日、原因となった看護師の配置が手厚い病院への診療報酬の上乗せ基準を見直す方針を固めた。具体的には、上乗せを認める病院を、救急時の医療や手術の前後など、看護の必要度の高い治療を行う施設に限定する。上乗せ基準は、医療の質の向上などを目的に06年4月の診療報酬改定で導入したばかりだが、次回08年の改定で変更される見通しだ。

 この日の中央社会保険医療協議会(中医協)で診療報酬の上乗せ基準見直しを厚労相に「建議」することを決定。これを受け厚労省も見直しに着手することにした。中医協が建議するのは95年11月以来12年ぶり。

 
06年4月の診療報酬改定では、看護職員1人が受け持つ入院患者数で決まる入院基本料を変更。従来の患者15人、13人、10人の区分に加え「7人」を新設し、手厚く看護師を配置した病院は割り増しの報酬を得られるようになった。急性期患者へのケアを手厚くし、入院日数を短縮する狙いだったが、手厚い看護が必要な入院患者の少ない医療機関も含め、全国で収入増を目指して看護師を増員する動きが活発化した。

 看護師は待遇がいい都市部の大病院に集中する傾向がある。このため、地方の中小病院などでは本来必要な看護師数を確保できなくなり、地域格差が広がる可能性も指摘されている。

  この日の中医協では、一部の病院が看護の必要性よりも経営上の理由から看護師の数を増やそうとしていることが競争の激化を招いているとの認識で一致。看護の必要度が高い施設に限って上乗せを認める求めることにした。基準変更には事前の実態調査などが必要なため07年度中の改定は不可能で、08年4月の実施を目指す。

 抄録締め切り、一区切り出来たので、Aの論文を本格的に手直し(というかGhost Writer)始める。ラストスパートが近い、月一ペースでいけるか? Grantも書かなければいけない。96/918問。疲れたが、UWももう少しだ。
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通常国会 日本で医療をしていた頃は、患者さんしか診ていなかったので、政治にはかなり疎かったのであるが、医療崩壊の叫ばれる現在、今回の通常国会にはいろいろと興味がある法案が提出される予定である。その一つが提出断念のニュースである。私自身、アメリカと日本の残業に対する国民性が異なるので、WEの導入には少し疑問を持っていた。参議院選挙前ということもあるのだが、今後もこの法案の行方を注視しなければいけない。

ttp://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20070117AT3S1601J16012007.html

労働時間規制除外法案、首相が通常国会提出を断念

 安倍晋三首相は16日夜、一定条件を満たす会社員を労働時間規制から外す「日本版ホワイトカラー・エグゼンプション」を導入するための労働基準法改正案について「現段階で国民の理解が得られているとは思わない、働く人たちの理解がなければうまくいかない」と述べ、25日召集の通常国会への提出は困難との認識を示した。首相官邸で記者団の質問に答えた。

 労働時間規制除外は勤務時間の長短で成果を評価しにくい業務に携わり、年収が一定以上ある会社員が自らの裁量で労働時間を決めることができる仕組み。政府・与党は7月の参院選などを控えて野党側が「残業代ゼロ制度」などと批判を強める中、法案を提出しても国民の理解を得るのは難しいと判断した。

 厚生労働省は同制度導入のための労基法改正案のほか、最低賃金法改正案などを労働市場改革関連法案として今国会に提出する方向で検討していた。今後、労働市場改革関連法案すべての提出を見送るのかどうか調整を急ぐ。


 朝からDr.Saと面会、気さくないい感じの先生で、やはりGeneral Surgeryへの道を推薦していただいた。早速Discussionの内容をGeneral SurgeryのDr.Siにメールで送ったところ、早速返事があったので、感触はいい感じだ。先週のDr.SiのInterviewの真意が、はっきりとわかった気がする。
 本日、NRMPにRank Listを提出する。姑息といえば姑息だったが、後半はここCleveland Clinicで築いてきたありとあらゆるConnectionを動員してのMatchだった。これで駄目なら諦めもつくというものだ。改めて多くの推薦して頂いた先生・助言していて頂いた先生に感謝したいと思う。

 Atricure終了、RVADのデータ取り、DATA解析を行う。96/1,014問。
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      California Cold Is Florida Citrus Gold 暖かい一月だったが、やっと本来の冬らしい冬がやってきた。しかし、その寒さも地域によって大きな明暗を分けるものであったようだ。

ttp://www.theledger.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20070117/NEWS/701170445

 アメリカの果物の二大産地は、CaliforniaとFloridaである。そのどちらでもOrangeを作っている。ここ数年ハリケーンで大被害を与えられていたFloridaだが、今回はCaliforniaが寒波でその3/4が被害を受けたということで、Floridaにとっては、"Gold"になったという話である。(語呂がよく、うまい表現である。)
 所変わればとよく言うが、California Orangeはやや酸味が強いが、Florida Orangeは非常にジューシーである。普段も値段が高いので、あまり買うことは無いのだが、今後3倍の高値で取引されるということだ。自然災害に一喜一憂される我々の経済だが、Mother Natureは燃料を燃やしまくっている我々のことをけげんに思っているのかもしれない。

 ウシの世話、再開するFiberscope studyの用意など。96/1,110問。本日Step 3のOnline resistrationを行う。後は写真を送るだけ。D Dayを設定していこうと思う。 設定のために、これまでの勉強状況をグラフにしてみる(下段)。目標点数を何点に設定するかにもよるが、3月くらいが妥当か。
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エネルギー閑話 暖冬の影響などもあり、ここのところガソリンの値段が下がっている。わかりやすいようにグラフを見てみると、こんな感じだ。

 私が渡米した当初は、$1.11/Gallon = 4L弱という値段だったが、ここまで乱高下するガソリン市場は、日本では想像がつかないのではないだろうか。エネルギー消費国アメリカを端的に現したグラフであると言えよう。

 もう一つエネルギーに関しての話題だが、アメリカではDaylight Saving Timeを採用しているのは周知のことである。今までは4月第一日曜日から10月最終日曜日までの期間であったのだが、これにより0.7%のエネルギー削減されていると計算されていた。2005年締結の"Energy Policy Act of 2005"により、2007年からは3月第二日曜日から11月第一日曜日までの期間となる。たかが0.7%、されど0.7%、いつまでたっても夏時間の導入を見合わせている日本と、ある目的に向かって制度を変更していくアメリカは、非常に対照的だ。

 ちなみにその影響であるが、我々個人の仕事などに関してはあまり際立った影響は無いと思われる。しかし、現在既に市場に出回っているコンピューターに関しては、自動的に夏時間に変更してくれる機能がついているものが殆どである。外来予約時間の変更などに支障が出てくる可能性が示唆されている。またHalloweenも夏時間内に含まれるのだが、18時にはまだ明るい地域があることが示唆されている。


 62/1,172問にてUW終了、52%の正解率。正解率からすると、現在ボーダーラインに達したことになる。全て問題を読めるようになったことが大きな収穫だ。ここから点数を伸ばしていこう。今日からCCS、感覚を忘れないために平行してUWの間違った問題をこなして、KAPLAN Step 3(1,100問)から最後にUWに戻って受験か。

 CCSはComputer baseの指示出し、ちょっとゲーム感覚だが、薬の名前を正確に覚えている必要がある。とりあえずUSMLEのCCS 5/1,177問をやってみるが、使い方は簡単だった。CSAのように、パターンをつかめば怖くはなさそう。やはり難関は選択問題だと思われる。
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       96+CCS30/1,303問。CCSでは、検査を入力する最初の3文字を、ある程度覚えなければいけない。NFLはBearsとColzに決定、前半21-3となった時には、誰もが『決まった』と思ったと思うが、これも繰り返しになるが、何事も決して諦めてはいけない。
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 Step 3のPaper resistrationの分を発送する。対象とする州は、Connecticutとする。これで赤紙が返ってきたら、晴れて受験日を決めれることになる。144/1,447問。UWのCCSは、ちょっと期待はずれ。でも調べてみたら、もっといいのがあるそうだ。

 仕事帰りにYの強い希望でそり場へ、パウダースノーだったが、これで実は3日連続そりということになる。

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Letters from Iwo Jima

 日本ではほぼ今までタブーであった硫黄島であるが、イーストウッド監督によって映画化され、こちらアメリカでも公開されることとなった。Cleveland areaでは2軒しかやっていな
いのだが、早速Cが週末に見に行ってきてくれた。アメリカ人も多く見に来ていたということだ。

 Washington DCに行くと、Iwo Jima Memorial (my photo)に足を運ぶことが多いのだが、ここはいつも人影が絶えることが無い。そしてどのアメリカ人に聞いても、"Iwo Jima"という言葉には反応してくれる。アメリカ人の間では、Iwo Jimaという名前は、Normandyに並ぶ大きな意味を持つ言葉である。

 一方、日本ではどうであろうか? どれほどの日本人が、この島で行われた戦闘について知っているのであろうか? 広島・長崎については誰もが知っていても、硫黄島についてはあまり知らないのではないだろうか? 戦後の日本の教育に大きな責任があるのであろうが(事実中学・高校での歴史教育では、ほとんどスルーであった)、今一度世界の中での現在の『日本』を考える意味でも、明治維新から第二次世界大戦間の歴史教育は必要であるように思う。日本文化の継承も、第二次世界大戦で途切れているように感じてならない。

余談:硫黄島の絶望的な戦局は、現在の産科医療崩壊の姿とだぶって仕方が無い。

 机上で事を進める大本営(政府、厚生労働省)、圧倒的優位のアメリカ軍(マスゴミ、司法、警察)、民度の低いマスゴミに洗脳された国民(あれっ、今と同じか)、、、。ややもすると、国民は硫黄島の玉砕(産科崩壊)を、戦闘能力の低さ(医師レベルの低さ)と誤解するものもいる。また硫黄島の戦い(地方の産科崩壊)を人事だと思っている節もある。しかし硫黄島(産科医療現場)を訪れて(受診して)始めて、一部の日本国民(妊婦さん)が事の重大さに気づき始める。そんな中、一人、また一人と兵士(産科勤務医)が倒れていく。

 硫黄島の戦いから終戦までは5ヶ月かかり、天皇の玉音放送(阿部首相?するの?)を聞くことによりようやく国民は焼野原(医療崩壊)を目の当たりにして、復興(イギリス型医療投資?)にとりかかるわけだが、さて日本の医療崩壊の場合はどれくらいの期間がかかるのであろうか? 広島・長崎のような『痛み』が(例:国家大臣クラスや有名タレントが、『たらい回し』で死亡?)無ければ、ポツダム宣言受諾(例:イギリスにおけるブレア首相の医療に対する180度方針転換)はまだまだ先のこととのように思える。

 最近、少しずつメディアも医療崩壊を紹介するようになってきたが、まだまだ少数派だ。日本人の民度から言っても、国民全体が気が付くのにはまだまだ時間がかかりそうだ。今後政府が政策転換するにしても、それもまだまだ先の事になるだろう。その時まで兵士の皆さん(勤務医)には、玉砕(産科閉鎖)することなく、細々と(入院制限)でいいですので、新兵(卒後研修医)が補充されるまで、しっかりと戦い(医学)の技術を保持しておいてほしいと思う。


 少しずつ日が長くなってきた。4日連続そり、まだ一人で滑るのは無理かな? 『帰り道そり』は日常になりそうな予感。192/1,639問、ふ〜。
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       Transplantの実験。96+CCS 5/1,740問。今月は2,300問を超えること。
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      福島県立大野病院事件初公判 決してこれだけではないのだが、この事件が日本の医療崩壊に大きく関与したことは間違いない。本日(日本時間26日)、裁判の初公判が開かれるのだが、経過次第では、今後の医師一人一人の行動に大きな影響を与えることが予測される。

ある産婦人科医のひとりごと
ttp://tyama7.blog.ocn.ne.jp/obgyn/2007/01/post_8911.html

医療関係者以外の方へのお願い 非常に大きな問題であると、我々多くの医師は考えています。上記のリンクを読まれることを、強くお願い致します。

 それから忘れたくは無いので、ここに記しておくが、地元福島民報のネット配信記事では、家族のおられる逮捕された先生の住所までもが掲載されている。今回の事件における地元メディアの姿勢、ひいては地元の感情が計り知れ、私は決してこういった場所では医療活動をしたくないと感じた。こういった私の感情は、普通の医師であれば当然のことであろうと思うが、これも地方医療崩壊の一つの原因であることを、多くの人に理解して頂きたい。

 睡魔に襲われ、70+CCS5/1,815問。
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       157+CCS2/1,974問。慢性的に寝不足。今日も氷点下の中、パウダーのそり。氷点下でも、元気にはしゃいで遊ぶ子供のたくましさが嬉しい。
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       48+180NBME/2,202問の模擬試験を行うが、結果は予想外に悪すぎる。確かにmarginalな問題も多かったのであるが、一度教科書に戻る必要がありそうだ。2週間してから(?)、もう一回受けてみようかと思う。侮るなかれ。
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 Crush Step 3を読む。

 首相施政方針演説の中での医療に対する発言、柳沢大臣の『産む機械』発言、高市大臣の少子化に対する理解の無さ、そのまんま東を知事に選ばざるを得なかった人材の無さ、、、、この20年で日本の医療の現状は様変わりした。しかし、政治の世界ではどうだろうか? 程度の低い、堂々巡りをしているような気がしてならない。

 医療問題を論じる場合に、結局行き着く先は『船頭』である。我々がどうネット上で発言しても、おおもとがこんな感じでは、この国の未来も先が見えたような気がするのは、私一人ではないのではないだろうか?

http://www.nytimes.com/2007/01/27/world/asia/27japan.html?ref=todayspaper
New York Timesの一面で、夕張の問題が取り上げられている。

http://abcnews.go.com/International/wireStory?id=2829706&CMP=OTC-RSSFeeds0312
柳沢発言は、世界で取り上げられている(嘲笑されている?)。


 繰り返しになるが、医療知識・技術の伝授を行えるうちに、早急に動かなければいけない。

 (実はこういう私も、もう諦めてはいる。愚痴日記で申し訳ないが、行き着く所まで行かなければ始まらないような気がしてならない。具体的には公立病院での救急・手術・入院制限、人間ドッグは東南アジアでどうぞ、一部の民間病院では、差額ベッド代でかせぐ高度医療、、、。)

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       Crush Step 3を読む。Cは昨日のそりでの衝突事故が原因で、入院。退院などで、一日ばたばたする。
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ここぞとばかりの社○党 『産む機械』発言で、水を得た魚のように元気になっている某社○党の×△議員であるが、言葉の端を捕らえたこのニュースに対して、底の浅い論議はやめて欲しいものだと思う。問題は、

1、経済専門の柳沢大臣を厚生労働省に起用した安部首相の責任(医療問題に対する姿勢の浅さが感じ取れる)
2、柳沢大臣しか適任がいなかったのか!という国会議員の層の浅さ
3、こんな考えの腰掛大臣を許してしまう日本の政治


 森首相の『神の国』発言なんかも、マスゴミが作り上げた過剰反応の一つだが、言葉の一字一句よりも、もっと大きな問題をとらえて欲しいと思う。本当にこんなことでいいんですか、日本は?


 3食作ってフル世話で、ちょっと余裕無し。ちょっとCrush。
 Step 3の書類が無事に受理されたとのこと。赤紙が来れば、試験日を選択することが出来る。ここ(7.5合目)まで来たのだから、立ち止まるわけにはいかない。気合です。
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      北の大地 北海道は、その大きさ・気候・雰囲気がOhioに似ており、個人的には、日本に帰るならば住みたい土地の一つであるのだが、集約化という名前の(あたかも自動的な印象を持つが、実際は厚生労働省による他動的な動きである)医療崩壊は、更に進んでいるようだ。

釧路労災病院 産科、小児科休診へ 北大、旭医大「医師派遣できぬ」  2007/02/01 08:12
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20070201&j=0045&k=200702012835

 【釧路】釧路市の釧路労災病院(小柳知彦院長、五百床)は三十一日、三月末で小児科と産婦人科を休診し、四月から同市の釧路赤十字病院(二瓶和喜院長、四百八十九床)に集約すると発表した。両病院に医師を派遣する北大と旭川医大が医師不足を理由にこの方針を決めた。集約後は実質的に医師数が減るが、両病院は週内にも今後の患者の受け入れ態勢について協議する。


 労災病院、赤十字病院ともに釧路管内の中核となる総合病院で、それぞれ十八診療科を持つ。労災病院の産婦人科は年間約五百件の分娩(ぶんべん)を手がける。一方、赤十字病院は新生児の高度医療を行うNICU(新生児集中治療管理室)や総合周産期母子医療センターを備え、道の小児救急医療拠点病院に指定されている。

 労災病院によると、北大が昨年十二月、派遣している小児科医二人のうち一人を三月末で赤十字病院に集約、残る一人も引き揚げる方針を決めた。さらに、労災病院に産婦人科医二人を派遣している旭医大も三十一日、「小児科医の常勤しない病院に産婦人科医は派遣できない」として赤十字病院に集約する方針を伝えてきた。これにより、労災病院の産婦人科医が二人になり、診療は困難として産婦人科の休診も決めた。小柳院長は「地域のため診療を続けていく考えだったが、大学側の事情でそれを断念せざるを得ず非常に残念な結果だ」と話している。

 釧路市内では昨年九月に市立根室病院が分娩を中止した影響で根室管内からの患者が増加している。今年四月以降、釧路、根室管内で小児科と産婦人科の診療を行う総合病院は赤十字病院と市立釧路総合病院だけになる。さらに釧路市内で唯一分娩を行っている産婦人科開業医が四月末で分娩をやめるため、両管内の出産の受け入れ態勢に大きな影響を与えそうだ。

市立根室病院 内科医不在の恐れ 4月から 旭医大が引き揚げ  2007/01/31 10:30
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20070131&j=0022&k=200701312598

 【根室】市立根室病院(羽根田俊院長、百九十九床)で内科に常勤する四人の医師が四月から不在となる恐れがあることが三十日、分かった。旭川医大が内科への派遣を三月末で打ち切るなどするためで、市は道などに新たな医師派遣を要請している。内科医を確保できなければ、年間延べ五万人を超える外来患者や入院患者の多くは百二十キロ離れた釧路市などでの受診や入院を余儀なくされるほか、救急患者にも影響が出る。


 市立病院は内科、外科、小児科など十七診療科がある総合病院で、道の地域センター病院に指定されている。常勤医師は現在十一人。

 内科の医師四人のうち三人を派遣している旭医大は、新人医師に二年間の研修を義務付ける臨床研修制度の影響で同大学自体の医師不足が深刻化したため、四月からは派遣できなくなったと市に通知。もう一人の医師も退職する意向だ。

 市立病院では、年間の外来患者延べ十七万六千人のうち三割、入院患者延べ五万三千人の五割を内科が占める(いずれも二○○五年度)。また、昨年、急病で同病院に運ばれた救急患者六百二十四人のうち半数は内科系疾患だった。

 市内には市立病院以外に内科を持つ民間病院や診療所が十カ所あるが、規模が小さく、外来、救急患者の受け入れには限界がある。民間病院の計二百床余りの病床も多くは精神疾患の患者向け。市立病院の内科医師が不在となれば、現在、内科系疾患で市立病院に入院している約四十人の患者や通院患者の多くが、釧路市などの病院で治療を受けざるを得なくなる見通し。このため根室市は道、札医大などに医師派遣を強く要請している。

 根室市内では昨年、唯一、長期療養を要する患者のための療養病床七十五床を持っていた民間病院が三月に閉院、九月には市立病院が産婦人科での入院・分娩(ぶんべん)を休止し、市民の間に地域医療崩壊への不安が広がっている。


 毎度おなじみのOhioと北海道のGoogle Mapを出して比較してみよう。根室市の人口31,413人からすれば撤退やむなしの声もあろうが、釧路市192,972人まで出なければいけないとすれば、120kmの移動となる。更に高度医療を受けようとすれば、帯広市171,612人または札幌市1,888,367人ということになるが、移動距離は、ClevelandからCincinnatiまでの距離と同じ距離となってしまう。アメリカと違い、平坦な直線道路では無いので、その何倍もの時間がかかることであろう。

 この北海道での医療崩壊は、距離的なやや特殊な問題もあり、兵庫県中部で見られるような自治体の足の引っ張り合いとは異なる(12/8の日記参照)、真の医療崩壊の図であるといえよう。都会から見れば、単なる地方の崩壊にしか見えないかもしれないが、北海道の漁獲水揚げ量最大を誇る根室市、その北にある生乳生産量最高を誇る別海町、北の工業を支える釧路市、これらの産業のへの影響は、都会にも少なかれ影響が出てくるものであると考えられる。

 ここで強調しておきたいのだが、新聞は『集約化』という言葉を用いてはいるが、北海道の状況は決して集約化という体裁のいいものでは無い。集約化とは、ほぼ分散した勢力を一箇所に集めることを指すべきものだが、実際には、既に漸減していくものを見かけ上、一箇所に集めているだけに過ぎない。『撤退』と呼ぶにふさわしい状況である。そしてその先に待ち受けるのは、『ドミノ倒し』である。根室→釧路→帯広→札幌、着々と厚生労働省の思惑通り(?)に、ことが進んでいるようだ。

 医師名義貸し問題は、北海道に始まった医師に対する清水(きよみず)運動だが、その北海道での大きな医療崩壊は、何とも皮肉な現象でもある。あの時の日本全国での医師名義貸し問題に対する対応にも明らかであったように、表面的な対応に追われ、その根本の原因解決を怠れば、現在のこういった大きな医療崩壊を招くのだということを、はっきりと記憶に留めておかなければいけない。


 車の修理、IRB書類、144+CCS10/2,356問。
 
 
12.0
   
 今日で1月も終了。2,356/6,059問。Interviewでいろいろなことがあった1月だったが、今はまた前を向いて目標に向かって進むのみ。点数の伸びはイマイチなのだが、だらだらしても始まらないので、X dayを決めること。


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