Running (2006.10)


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 日本で見た低級番組の一つだが、このことだけは決して忘れたくないので、ここに記しておこうと思う。構造疑惑の初公判が始まったことに対するみの○んたのコメント、『私は冒頭陳述で姉歯さんに問いかけてみたいね、「屋上から飛び降りた奥さんの気持ちを、あなたは考えたことがありますか!」、と。』??? メディアは人の気持ちを考えて報道しているのだろうか? これがあの日本国なのだろうか? いや、これが今の日本なのだ。
10/14
(15.0)
Mtn
 
 長かった日本への旅も終わり、Clevelandに戻ってくることが出来た。50人以上のDoctorからお話を伺うことが出来たが、自分の将来の方向性を決める上でも、非常に有意義な旅であったと思う。日本は、日本語で話を出来るということは、我々日本人にとっては大きな利点ではあるのだが、もう少しこの英語社会の中で自分の力を発揮していきたいと思う。
 本日、CSAの合格通知を受け取る。まだまだ越えなければいけないステップは多いのだが、あれをもう受けないでいいと思うと少しほっとさせられた。正式な書類は、2週間以内に届くそうだ。
10/15
11.0
Jog
 
日本の医療崩壊 今回の旅の一つの大きなテーマだったのだが、多くの先生にお話を伺うことによって、まさに現場の声を聞けたような気がする。都市部はまだそれほどでも無いようにも思うが、崩壊は地方・都市を問わず現在進行形であることを痛感させられた。そして誰もが2年後をも予測できない状態であることにも、驚かされてしまった。あるのは、医療費削減ありきであり、その先に待ち受ける困難さを誰も予期できないのだ。
 そして『私はどうするべきか?』であるが、アメリカにチャンスがあるならば、全ての人がとにかくこちらで腕を磨けというように、励まして下さった。ありきたりの簡単な結論ではあるが、それには大きな努力が必要になるであろう。しかし純粋な気持ちで、医学部卒業直後の研修医の気持ちを思い出して、困難に立ち向かっていこうと思う。
10/16
 
 
 

18病院受け入れ困難 救急をやっていて、重症の患者さんの搬送先を探すのに苦労することはあっても、ここまで断られ、更に県外まで出るということは本当に異常事態であると思う。(1)受け手のマンパワー、(2)それがあったとしても働く防衛医療、(3)妊娠に対する重症感の喪失、(4)医師側・患者側での医療に対する認識の解離、(5)メディアの三面記事的ニュース性、原因は複雑ではあるのだが、いよいよ焼け野原が近いことを予感させる記事ではないだろうか。
 今回の帰国時に、定員6床のNICUを12床にして運営している三次救急施設を見た。レスピレーターなどもぎっしりで、ベッド間を歩くのも困難な状態である。面会など入ってしまえば、身動きすら出来ないNICUである。こういった問題は、産科だけに限った問題では無いと思う。今まで積み上げてきたシステムが、どんどん壊れていっていることを感じる。そしてもう一つ忘れてはいけないのが、新人教育をなすべき中堅クラスが、どんどん一線を離れていっている点である。見た目はまだ乗り切れていても、5年10年のスパンで考えるならば、既に取り返しのつかない領域に入っているような気がする。

 仕事といっても休暇中のメールの整理で大変。4通目のLORを発送する。

10/17
 
 
 
日米の温度差 北朝鮮が核実験を行ったと言っても、あまり緊張感の無かった日本であったが、こちらアメリカではいよいよ戦争かという緊張感が走っているように感じられる。ラジオでは連日この問題を報じている。イラク戦争の時も、まさかするまいとは思っていたのだが、あの時突っ走ってしまったブッシュ、今回はどうも嫌な予感がしてならない。

 なかなか返事の無いRPだが、3通のrejectionは既に頂く。どうなることやら。UVへ追加資料の送付。さて、Step 3に向かって歩いていこう。4,000問が合格ラインと考えられるので、1月が妥当なところか。
10/18
 
 
 
 BVAD fitting study、想像していたような結果だった。4通目のrejectionが来て、またまたへこんでしまった。まあ、全米を代表するM Clinicだからしょうがないのだけれども(あんな所に出すなんてもったいない、でも試してみたかったんです)。
 帰宅してみるとFedexから宅配便が来ているというので、ピンと来るところがあり取りに行ったら、やはりECFMGからのcertificationであった。紙切れ一枚(といっても立派な台紙に入っているのだが)といえばそれまでだが、これに至る過程を思い出すと、何だかおセンチになってしまった。さあ、また前を向いて歩いていこう! 9月にやったStep3の問題の復習。
10/19
 
 
 
 娘の目が充血しており、とても保育園に預けれる様子では無いので、急遽子供の世話となる。疲れもあるのであろうか、言うことを聞いてずっと寝ていてくれた。頼まれ論文の仕上げをして、Qb 50/50問。
10/20
 
 
 

さよう奈良 かなり激しい論議が交わされているし、注目もされているようだが、依然多くの方が三面記事的けしからん談義を起こしていることに驚かされる。タイミングよく県立奈良病院産婦人科から超勤手当て要求が起こされたが、一つの問題提起になるように思う。医師側からのこういった労働基準法をたてにする訴訟を起こすことが、一つの突破口にならないであろうか?

ttp://www.asahi.com/kansai/news/OSK200610210041.html
「過酷な当直」、産科医5人が超勤手当1億円要求 奈良
2006年10月21日

 奈良県立奈良病院(奈良市)の産婦人科医5人が04、05年の超過勤務手当の未払い分として計約1億円の支払いと、医療設備の改善を求める申入書を県に提出したことがわかった。医師らは「報酬に見合わない過酷な勤務を強いられている」と訴えており、要求が拒否された場合は、提訴も検討する方針。

 県によると、同病院の年間分娩(ぶんべん)数は05年度で572件。産婦人科関連の救急患者は年間約1300人にのぼる。産婦人科医が当直をした場合、1回2万円の当直料が支払われるが、当直の時間帯に手術や分娩を担当することも多いという。

 申入書によると、当直について労働基準法は「ほとんど労働する必要がない状態」と規定しており、実態とかけ離れていると指摘。当直料ではなく、超過勤務手当として支給されるべきで、04、05年の当直日数(131〜158日)から算出すると、計約1億700万円の不足分があるとした。現在9床の新生児集中治療室(NICU)の増床や、超音波検査のための機材の充実なども要求している。

 医師の一人は「1カ月の超過勤務は100時間超で、医師の体力は限界に近い。更新期限を過ぎた医療機器も少なくなく、これでは患者の命を救えない」と訴える。

 県は、産科医を1人増員するなどの改善策に乗り出すとともに、医療設備の改善を検討しているが、超過勤務手当の支払いは拒否した。担当者は「財政難のため、すべての要求に一度に応えるのは難しい」と説明する。

 しかし世論では、『お金をたくさんもらっているくせに、、、』、『医師は聖職なのに、、、』という論議が沸き起こるのであろうか? お金では無い、感謝されるというモチベーションが減少してきたがために、そのモチベーションを保つためには、仕事は仕事と割り切っての労働意欲を掻き立てるために、時間外手当というように叫び始めているように思う。訴訟が増加すればするほど、こうならざるを得ないと思う。これも一つのturining point(医師側からの叫び)であるのだが、駄目(であろうが、、、)ということであれば、更なる跳散が起こるだけであろう。5人の産婦人科の先生は、もういつでもやめてもいいぐらいの覚悟でこの要求を出したものと推察される。
 大淀病院の件と共に、非常に注目される問題であろう。(非常に興味深いことであるが、この超勤手当て要求に関しては、あの
Asahi以外にはニュースが出てこない。)

 RVAD, autopsyの後、CCFで開催されているHeart Failure Summitに参加する。IMR/FMRに対するPercutanous MAPの話が面白かった。眠いけどがんばって50/100問。

10/21
 
 
 
 昼からちょっと外出、紅葉が盛りで美しい。昨日の復習やら。少し追加で申し込んで38施設とする。
10/22
 
 
 
White Collar Exemption 少しは聞いたことのある言葉ではあったが、あまり興味なく聞き流していた言葉であった。経団連などが厚生労働省に働きかけてその導入を検討しているというのだが、本当に導入されてしまえば、社会における影響は多大であるであろう。効率化という面から見るといい部分もあるのかもしれないが、医療改革にも何か似た国民の意思が届かないところで粛々とその制定を勧めている印象がある。各個人が、危機感をもって大きく研究していかなければいけない課題であると思う。
 少し補足をするならば、事務作業をする人がWhite Collarとして定義されると思われるかもしれないが、専門技術職(医師を含む)であってもそれに含まれる可能性が高いので、改めて各個人がその定義を考えなければいけない。

 (ブログにはしていないのだが、私の日記(コメント)を読んでおられる方も少なからずおられるようだが、是非みなさんにも知っておいてもらいたい情報であると思い、掲載した。また今日の本題とは少し離れているが、日本の医療危機に対する世間への啓蒙は、マスコミがマスコミだけに、我々医師の義務でもあるように思えてきた。是非読んで頂きたいブログなどは、リンク欄を貼り付けることなどを検討しています。)

 奈良県立病院の超勤手当て要求の話を一昨日少ししたが、訴訟をすれば勝てるという意見もある。今までは医局という枠があるために(解雇があり得たため)、こういった要求を出来なかった訳であるが、そのしがらみが無くなってきたために吹き出た問題といえよう。もしもこれが訴訟になり勝訴ということになれば、全国の地方自治体の病院から多くの要求が通ることになり、簡単に病院の経営は悪化することであろう。そういった超勤手当てを全て帳消しにしかねないWhite Collar Exemptionと今回の問題は、慎重に経過を観察していかなければいけないと思う。

 HPの更新もしたいのだが、それよりも勉強したいという感じ。学会参加、Yのパーティー参加、50/150問。全部読めない、本番は48問なのだが、スピードが全く足りない。来週はいよいよ雪が降るということで、ちょっとブルー。
10/23
 
 
 

ベッドが無い 今回の奈良事件のコメントで勉強させて頂いたのだが、我々医師が日常的に使用していた『ベッドが無い』という表現であるが、これは安易には使用してはいけない言葉であるようだ。
 実際は、適切な医療を行うことが出来ない、看護人員的に受け入れられない、受けても命の保障は出来ない、100%以上の稼働率は法律違反になる、こういった状況を端的に説明する言葉であるのだが、これを一般の方が聞かれた場合には、『じゃあ、ベッド持参します』、『廊下で手術して下さい』という話になるようだ。
 『満床』、いっぱいでも何とかしてくれという話にはなりそうです、『これ以上患者さんを受け入れると、他の患者さんの生死にかかわる』、これは長すぎる、『てんやわんや』、『スタッフ不足』、『入院不可能』、他にいい言葉ないでしょうかね? 一番大切なことは、誠意を持ってしっかりと説明することだとは判ってはいますが、その時間すら無いと言うのが実情なのでしょう。

 朝起きてびっくり、外は津軽海峡冬景色であった。10月に雪が積もることは少なかったが、いよいよ冬将軍のお出ましだ。今から4ヶ月は暗い季節だが、来シーズンの契約も含めて、早く春が訪れてほしいものだ。
 Meetingの後、high priorityでDoDの仕事をこなす。眠い目をこすりながら根性で50/200問。
ちょっと長文のとばし方がわかってきたような気がする。 

10/24
 
 
 
OGCS, NMCS 大阪府の産婦人科診療相互援助システム、新生児相互援助システムのことである。各病院の受け入れ可否情報が、瞬時にコンピューターで検索できるというシステムだ。今回の事件を受けて、奈良県は、『体制が整備されるまで』大阪府のシステムを利用することを求めるというニュースだ。

ttp://www.asahi.com/kansai/news/OSK200610240097.html (余談になるが、あの朝日が今回はやや冷静に建設的な報道を繰り返している。)

 もちろん、奈良県に一つしっかりとしたセンターを作ることが必要だとは思うが、丸投げという批判ももちろんあろうが、人口奈良市37万人、奈良県141万人ということを考えれば、集約化が叫ばれている現在、都道府県の垣根を越えたネットワークの確立が求められるのではないだろうか。福島という地方都市で起こった以前の事件ではあったが、今後こういった問題が、大都市に付随した衛星都市でも多々発生してくる問題であろう。地方の枠組みを越えたネットワークの確立には、国の力・民意が必要であろうが、しかしそれを打破するだけの力が、日本の政治にはまだまだ見られないように思う。

 DにData解析方法を指導する。そしてhigh priorityのAnnual reportの作成。75/275問。
10/25
 
 
 
医療の不確実性 我々医師が医療を行っていて感じることの一つが、医療の不確実性であろう。全てはマニュアル通りには進まないのが病気であり、ある程度可能性の高い診断をつけたならば、標準的な治療に基づいて、時には稜線から右に落ちていく患者さんを左に押し、時には左に落ちていく患者さんを右に押していき、最終的に目的地までサポートしていくのが医療である。時には歩くのをやめて倒れてしまう患者さんもいる、しかし基本的に我々は背負うことは出来ないのである。

 更に例えるならば、救急治療なんかは、視界の悪い暴風雨の山岳地帯を、レーダー無しで飛行している舵の壊れた飛行機であるといえよう。何とかこちらから手を差し伸ばして引っ張りたいのだが、視界は全く回復せず行く先不明、我々が通った後には青空が広がり、後ろからは『いつ墜落するか』と、マスコミと警察のヘリが晴天の中追いかけてくる。

 世間の方の考えている医療の不確実性というものと、我々が認識している医療の不確実性には、大きな隔たりがあることを、一般の方のブログを読むことにより最近わかるようになってきた。正確な診断・治療を行えば、この不確実性が減少すると思われている一般の方が多いようだが、何パーセントかの確立で合併症は必ず発生してくる。いくら医学が進歩しても、いつかは人間は死ぬのである。以前のタイトルでも書いたが、『いかに死ぬか』、これを個人個人が考えなければいけない。全てに完璧を目指して、自分の納得する死以外を認めないということであれば、医療サイドはたまったものではない。もちろん医師は0を目指すことを目標に治療を行っているし、あまりにもかけ離れた数字は、裁判という方法もあるのだが、決して0にはならないことを認識していただきたいし、それが人間と機械との違いである。

 Meetingx2、Annual reportしてたら、Yの学校から電話があって、結膜炎だからといって回収するように言われる。大したことないのに、診断書もらわなまた来たらあかんのだってよ。2人とも働いているのだが、アメリカは厳しいです。
 昨晩遅くまで勉強したので、痛恨の撃沈。
10/26
 
 
 
おばすて山 日米の文化の違いを紹介するのが、この日記の一つの目的だが、医療システムの違いを短的にしめしているのがこのニュースではないかと思う。

ttp://www.asahi.com/international/update/1025/009.html

 Yahooでも、"Los Angeles hospital Skid Row"で検索をかければ、百件以上のニュースが引っかかってくるであろう。これが光と影のアメリカである。アメリカではピラミッド状の医療一極化であったが、Medicaideが大きな社会問題になっている今日、富裕層・最貧層が医療を受けられて、中間層が一番苦しんでいると言われている。中間選挙前でもあり問題として浮上してはきているが、しかし基本的には金が無ければ医療を受けることが出来ないという市場理念が大勢である。アメリカではだからこそタバコを吸っているやつはかなりの白い目で見られるし、健康管理にはみんな気をつかっている。ニートとか甘いことをいう余裕は無く、何とか仕事について自分の保険を手に入れることが、一つの仕事につくことの大きな意義となっている。

 日本の夜間・休日のコンビニ診療、全ての人が最高級ベンツに乗りたがるような医療には、莫大な経費がかかるはずなのだが、現在の日本では、全ての人が平等に安価な医療を享受するすることが出来る。しかし、日進月歩する医療の経費を、据え置きならまだしも、減額していくという方向性は、世間の皆さんはどう思われるのであろうか? これまでは医療側の情熱だけで、その医療費を抑制してきたのだが、これに破綻をきたしているのを、日本人は気がついているのか? どうして積極的な議論が行われないのか? 医療費を下げることに同意するならば、Suzuki, Daihatsu(失礼)でも十分じゃないでしょうか?

 以前の繰り返しになるが、質の高い医療にはお金がかかる、それを誰が払うのか? 最近のNHKの討論会のアンケートを見ても、公的資金での補助を求める方が多いようだ。しかし、増税した税金で払うなり、自己負担するなり、全ての人が自分の懐からも出さなければ医療が成り立たなくなっていることを、認識しなければいけないのではないだろうか。

 Supervisorという立場になってから、なかなか自分のペースで仕事をすることが出来ない。2,000万円近くのGrantがおじゃんになったら困るので、Annual reportに全力投球。しかし、『既に締め切りを3ヶ月過ぎてるから、一週間以内に出して!』、なんていうAnnual reportなんて、あり? 25/300問。
10/27
 
 
 
救急指定病院撤退 そういえば卒後一年目に、バイトに行ったよな。先輩に言われて病院に到着してみれば、救急当番日で、救急車の音にうなされながら朝を迎えたよな。それからも、バイトに行くことは多々あったが、何人患者さんを見ても入院させても同じの安い給料で、よく断らなかったよな。

 そして医局の崩壊。もうあんな理不尽なバイトに行かなければ行けない義務感は無くなってきているのであろう、とうとうここまで来たかという感じだ。

ttp://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20061028

 思っていたよりも崩壊は早いなと思う。もしかしたら年末休暇を乗り切れるのであろうか? 4月人事で、今度はいったいどれだけの科が、病院が、閉鎖されるのであろうか? もう律速段階は越えたようである。崩壊するところまで崩壊するならば、いっそ早いほうが今後のためになるであろう。

 Annual report完成! やっと肩の荷が下りたという感じだ。reviewなども頼まれてはいるのだが、とりあえずは週末は勉強に集中できそうだ。50/350問。
10/28
 
 
 
医者なのにベンツではない? 産科医は世界最低の妊産婦死亡率をたたき出し、そして妊婦側は感謝の気持ちを『訴訟』という形で返した、、、、医師と患者側の医師の疎通が図れないことにも現在の医療問題の原因はあるとは思うが、意思疎通を阻んでいることの一つに、こういった誤解があるように思う。

ttp://www.toyokeizai.co.jp/mag/toyo/2006/mm/mm1025.html


先日、医師と結婚した知り合いの女性と街でパタリとでくわしました。えっ、と思ったのは、立ち話が幸せそうな結婚生活に及んだ時、彼女がこんな言葉を発したからです。「ウチのクルマ、まだベンツとかじゃないんです」・・・。

お医者さんといえば、お金持ちなのが当たり前、クルマといえばメルセデス、というイメージに、しっかりと捕らわれている人は、ひょっとするとかなりいるのかもしれないなと思いました。

実際、そのイメージのままに生きているお医者さんとその家族もたくさんいるわけですが、それはもっとたくさんいるお医者さんの中の一部にすぎません。

医師、看護士、病院・・・。わたしたちは病気をするたびに、そこへ行って順番を待ち、治療を受け、先生と呼んで礼を言い、処方された薬を受け取って・・・。そうしたことを当たり前のように繰り返しています。だから、ずいぶんと知ったつもりになっていますが、実は、その場所と彼らの本当の姿をどれほど知っているといえるでしょう。


 日本からこの雑誌(東洋経済10/28日号)を送ってもらったが、最近目を通した医療関係の雑誌の中では、かなりしっかりと現実をとらえている雑誌であると思う。発行部数はあまり多くは無いのだが、読者層を考えると、かなり影響力のある内容ではないかと期待してしまう。少し欲を言うならば、経済紙ゆえに、光の部分(今後の利益性)を照らすのみで、崩壊していく側(=負け組み)にはスポットライトが当たらず、今後どういった方向に進むべきであるかとの指針にはなっていない。まずは第一段階としての『問題提起』、と考えるといい文章であるように思う。医療裁判に関しても記述が弱い感じである。『文芸春秋』や大きな雑誌などで、今後大きく取り上げられて、大きな議論が起こり、早急に対策を検討していく方向に進んで欲しいと思う。

 アメリカにいると、日本の医療問題について直接行動は出来ないのだが、常にこうやって声を上げ続けることが、一般の方に訴え続けることが必要なのではないかと、最近は考えている。(Cleveland在住の方、連絡いただければ、お貸しいたしますよ。)

 天気が悪い。100/450問。
10/29
 
 
 
医療訴訟問題に関するまとめ 現在の医療問題は、非常に複雑にからみあっているのだが、医療訴訟に関しての討論のまとめとしては、このサイトのこの記述は非常にいいまとめであると思うので、ここに転載する。

ttp://www.yabelab.net/blog/2006/10/29-232428.php


 一般に、医師側は故意・重過失の場合に刑事責任を問われることは否定していないし、
過失ある場合に相当な限度での民事賠償責任が生じることも概ね受け容れられている。
問題は「過失」とは何かという捉え方である。

第一に、過失の有無、つまり医療行為の妥当性は、レトロスペクティブにではなく、プロスペクティブな視点で検討されなければならない。
なぜならば、医療の性質は試行錯誤の連続であり、最初から病気の原因や治療方法の正解が与えられているわけでなく、全く五里霧中の中から、刻々と変化する患者の容態を見つつ、推論を重ねて病名を探知し、その場その場で最適と思われる治療方法を選択していくしかないものである。
後から振り返って、全ての情報を与えられた上であれば(レトロスペクティブな判断)、確定診断を付け最適な治療方法を見い出すことができても、
その当時に医師が置かれた具体的状況の下で(プロスペクティブな判断)、それをせよというのは不可能を強いることであり、実質的には結果責任主義に等しい。

第二に、医療行為はそれ自体、人体に対して悪影響を及ぼす危険性を含んでおり、完全な安全性を確保することは物理的に不可能である。総じて益のほうが害より大きいと見られるために「治療」がなされるのであるが、個々の事例においては期待に反して結果が裏目に出ることはありうる。
このような医療に不可避的な副作用・合併症についてまで、医師の責任を問うとすることも、同様に実質的な結果責任主義であるといえる。

医師に対して結果責任主義のような過酷な法的責任を負わせるならば、医師は医療を提供することを躊躇し、萎縮して必要な治療すら行わなくなり、最終的には医療現場から撤退してしまうであろう。
特に、刑事責任については、人の死傷に多く関与することを余儀なくされる立場で、日常業務がいつ何時犯罪として告発されるか分からず、刑務所行きの危険と常に隣り合わせで働けというのは、痛常人の神経では耐え難いことである。
加えて、政府の医療支出削減、これに起因する勤務医の労働過剰が、撤退方向に拍車をかけている。

医師が一人辞めれば残された医師にしわ寄せが生じてさらなる退職者を呼び、一定数の医師が確保できなければ、その病院は閉鎖せざるをえない。こうしてドミノ倒し的に医師や病院が減少し、地域において必要な医療が提供できなくなっているのが、現在進行している医療崩壊の現象である。
医師の減少は、死傷の結果が生じやすく責任追及が厳しくなりがちな分野から進行している。具体的には、救急、外科、産婦人科、小児科などであり、内科がこれに続くとみられている。

医師の減少を食い止め、医療崩壊を防止するためには、
1.医師の法的責任(民事、刑事)を医療の実態に則した適正な範囲に限定し、不合理な責任追及や社会的バッシングから保護すること
2.医師に適正な労働条件を確保し働きやすい、意欲の出る職場環境づくり
3.これらの裏付けとして、医療分野にきちんと国家予算を投入すること
  (含・過失なき医療事故における被害救済策)

ここは法曹関係者の多いブログなので、主に1.の観点が論じられている。
・具体的な民事・刑事の事件における医療の妥当性や医師の過失の有無の検討(判例批判、報道批判)
・訴訟対策や訴訟戦術
・裁判制度の改善案


 このブログは、モトケンさんのご好意で議論の場になっているブログであるが、医療側および司法側も閲覧しているサイトであると聞く。医療問題の一面を解決していく一つの糸口になっていって欲しいと思う。

 いい天気だというのに、一日家で勉強マン。Internal Medicine, Neuro, OBGYNときたが、Pediaticsはなかなか手強い。更なる修行が必要であることを認識する。100/550問。
 もう一回(?)今年中にキャンプに行きたいのだが、なかなか週末にいい天気があたらない。ちょっとストレスがたまり気味だ。
10/30
 
 
 
 Meeting, meeting, meeting。苦手なPsyは相変わらず、10/560問、復習。
 今日からの通勤は夏時間が終了したので、ちょっと楽だ。しかし今から冬至までの間が、アメリカ北東部居住者には一番辛い時期だ。昨年も勉強漬けの秋だったが、ちょっと息抜きも必要か?
10/31
 
 
 

マスコミが伝えないニュース 最近、医師としての登録が必要なm3.comに加入したが、いろいろな医師向けのニュースを送ってくれるので、重宝している。その中から、大衆紙が伝えないニュースを2つ紹介したい。

ttp://www.jsog.or.jp/news/html/announce_30OCT2006.html
 『絶滅危惧種』とまで言われている日本産婦人科学会からの緊急提言。この叫びは伝わらないのでしょうか。

 もう一つは、共同通信提供のニュース。聞くところによると、神戸新聞朝刊に載ったらしい。



過酷な勤務、訴訟の増加... 医師たちにプレッシャー 「表層深層」産科医の現場離れ深刻

記事:共同通信社
提供:共同通信社

【2006年10月31日】
 都道府県の8割が直面する産科医不足。背景には24時間体制の過酷な勤務実態と、お産をめぐる訴訟や刑事責任に問われるケースの増加がある。勤務医たちはプレッシャーに押しつぶされるようにして、生命誕生の現場から離れている。

 ▽医療ミス

 大阪府の男性産婦人科医(38)は昨年12月、出産した母親の死亡事故をきっかけに、産科の診療所を辞め、お産を扱わない診療所を開いた。

 亡くなった母親は後で死亡率の高い羊水塞栓(そくせん)症だったことが分かったが、直後には医療ミスを疑われた。遺族から殴られ、警察では6時間も取り調べを受けた。

 「ただでさえ大切な患者さんを失って苦しい思いをしている時に、これでもかというほど打ちのめされた」。結局、限られた人数では、出産は扱えないと結論を出した。

 医師は「社会ではお産を軽く考える風潮があるが、実際は命にかかわることもある。医療の現実と患者の意識のずれが、一方的に医師にぶつけられている」と訴える。

 ▽走る動揺

 大阪府の公立病院勤務が長い産婦人科の女性医師(41)は、外資系の製薬会社への転職を決めた。緊急手術など臨床現場での経験は約15年。当直明けで翌日も仕事をする36時間勤務などもこなしてきた。

 転職を決めた理由は忙しさではない。「忙しくても収入が悪くてもやっていける。でも寝ずに働いて、患者から暴言を浴びせられたり、訴えられたりするプレッシャーの中では、何のためにやっているのか分からなくなる」

 医療訴訟は2004年まで増加を続け、05年は減少したものの1996年の1.7倍。医療事故をめぐる警察への届け出は、97年は21件だったが、03-05年は毎年、200件を超えた。立件数も97年の3件から毎年増加し、05年は91件。福島県立大野病院で起きた出産時の死亡事故では、医師が業務上過失致死容疑で今年2-3月に逮捕、起訴され医療関係者の間に動揺が走った。

 警察庁は「医療事故の捜査は病院や患者側からの通報が前提。過失の立証が難しく、警察側から積極的に掘り起こしをするわけではないが、通常の捜査と同様、過失が立証できれば立件する」とのスタンスだ。

 ▽患者救済

 勤務医を辞めていく実態などを著書「医療崩壊」にまとめた虎の門病院(東京)の小松秀樹(こまつ・ひでき)医師は「尋常じゃない働かせ方と訴訟など患者とのあつれきの中、産科だけでなく勤務医全体が病院から離れ始め、危機的な状況だ」と警告する。「医療は不確実で、過失がなくても重大な結果になることがある。警察が介入すべきではないし、現実を理解せずに報道するメディアの責任も大きい」

 一方で患者にとってみれば、医療ミスを問う手段は訴訟や刑事告訴などしかないのも事実だ。医療消費者ネットワークMECON代表世話人の清水とよ子(しみず・とよこ)さんは「警察に駆け込む人が増えているのは、病院が真実を隠し、国が患者救済の法律も制度もつくっていないため。それがない限り、患者側は警察に社会的制裁を与えてほしいと考えるのではないか」と話す。

 こうした実態を受け、厚生労働省は8月末に発表した「新医師確保総合対策」の中で、訴訟リスクを回避するため医師に責任がなくても患者に補償する「無過失補償制度」の創設を打ち出した。

 自民党もこの問題で検討会を設置し、年内に結論を出す方針。ただ、財源や対象者をどうするかなど課題は多く、実現までにはまだ紆余(うよ)曲折がありそうだ。


 今回帰国の際に、奥様が某市民病院でばりばりの産婦人科医である先生にお会いした。私も学生時代から何度かお会いしたものだが、もの凄い生活をされていたことはいつも聞いていた。数年前に婦人科専門病院に移動されたそうだが、本当にご苦労様でした。

 あの奈良事件の後、世論は変わるのかと期待してはいるのだが、こういったニュースがあまり報道されないところを見ると、非常に『日本的(問題があっても目をつぶって先延ばし)』であると感じてしまう。


 2002年からSubmissionをしていた論文で、もう忘れ去られていたと思い、リストから消し去っていた論文が、Studyを始めてから足掛け6年(?)でアクセプトされた。いろいろと指導して頂いた元ボスにお会いした直後だけに、万感の思いである。最近自分で書くことをサボっている(時間が無い)のだが、Step 3をパスしたら、後輩への種をまきつつ、ここでの仕事を全て片つけてしまおうと思う。
 review, review, 明日の用意、YのObservationの後、Halloween、40/600問。
  
 
26.0
 
 
 ECFMG certificationを取得、Step 3に向かって始動する(600/700問)。目標は4,000問。Macthingであるが、結局合計38箇所に提出する。明日からMSPEが公開されるが、私に高い値段をつけてくれるのは、どこの施設でしょうか?


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