1998年 四国 四万十川 計画書



1998 Summer vacation plan in Shikoku

地域:四国、高知、四万十川流域

メンバー:Y, C

行程:
7.25 (Sat) 神戸=牛窓=前島(心臓病の子供を守る会サマーキャンプ)
7.26 (Sun) 前島(心臓病の子供を守る会サマーキャンプ)=岡山土屋邸宿泊
7.27 (Mon) 岡山=伊予(194.1km,\8450)=宇和島(120km)=成川渓谷休養センター宿泊
7.28 (Tue) 滑床渓谷沢登り=江川崎T.S.
7.29 (Wed) T.S.-勝間沈下橋T.S.
7.30 (Thu) T.S.-佐田沈下橋T.S.
7.31 (Fri) T.S.-河口-(江川崎まで自転車)-足摺岬あしずり
8. 1 (Sat) 足摺岬観光=高知=神戸
8. 2 (Sun) 予備日

装備:ボイジャー450T一式、DUNLOP2人用(1)、シュラフ(2)、マット(1)
   EPI(2)、EPIランタン(1)、カートリッジ(5)、食器(1)、網(1)

▼前島フェリー  0869-34-4356
▼成川渓谷休養センター 0895-45-2639 予約済み
▼オートキャンプ場とまろっと 高知県中村市下田3535  08808-8-0301 連絡済み
▼国民宿舎あしずり   08808-8-0301 予約済み



1998年 四国 四万十川 報告書



1998 Summer vacation report in Shikoku

地域:四国、高知、四万十川流域
メンバー:YO  CO
行程:
7.25(Sat) 神戸=牛窓=前島(心臓病の子供を守る会サマーキャンプ)
 いろいろと9日間の長旅の用意をしていると、時間はあっという間に過ぎてしまう。6時に起床したが、出発は9時20分になってしまう。まずはガソリンを満タンにした後、新神戸トンネルを抜けていく。三木東まで下道を走った後、ここから高速備前へ。ブルーハイウエイをたどり牛窓に到着したのが、11時20分であった。11時45分のフェリーに乗り込み、ようやく本日の到着地、前島カリヨンハウスに到着した。心臓病の子供たちは、みんな昼食前であった。見たところ皆元気そうであるが、中には黒い子供もいる。昼食をとった後、今回のメインイベントの海水浴だ。あまりgoodではない砂浜であったが、何事も無く終了、バーベキュー、花火と夜は過ぎていったのであった。しかし、子供たちの元気なこと、元気なこと。

7.26(Sun) 前島(心臓病の子供を守る会サマーキャンプ)=岡山土屋邸宿泊
 今日も子供たちは元気だ。しかし、朝の診察を行うと、不整脈の認められる子供が2人認められた。無理は禁物だ。午前中はクラフト作りを行って、閉会式だ。ほっとする。以前から参加したい会ではあったが、なかなか考えさせられることの多い会であった。

  14時のフェリーに乗った後、岡山の土屋家にお邪魔することにする。ここで洗濯、入浴をさせていただいた。夕食はネギ焼きのお好み焼きを食べにいく。なかなか旨い。

7.27(Mon) 9:30 岡山=12:00伊予(194.1km,\8450)=14:30宇和島(120km)=成川渓谷休養センター宿泊
 小豆島に向かう史ちゃんを新岡山港に送った後に、いよいよ四国上陸だ。運転の練習を兼ねて、千代に運転してもらう。二号線バイパスをたどった後、早島から瀬戸自動車道に乗る。与島までがんばってもらった後、一気に松山自動車道をぶっ飛ばして伊予へ。ここから下道をとばして宇和島へ向かう。鳥坂トンネルを越えた所で、右手にあるうどん屋さんで昼食、ここから再度Cにがんばってもらって宇和島へ到着。宇和島へ来たならば、行かなければならない場所がある。

 それは、重要文化財に指定されている宇和島城だ。

 全国に残存する旧天守閣の、4つの国宝・8つの重要文化財の中で、この四国は4つの重要文化財を有しているのだ。駐車場に車を停めた後、天守を目指す。もともと宇和島と呼ばれていたよう、ここはもともとは海に浮かぶ島だったのだ。藤堂高虎が築城し、名門伊達家が明治まで続いた名門だ。天守台に登ると、周囲の景色は絶景だ。目の前には海が見渡せる。天守は三層から成り、急な階段を登って最上層へ、絶景だ。

  しばし景色に見入った後、宇和島の商店街を散策し、必要な買い出しをここで行い、今日のねぐらの成川渓谷に向かう。天気は残念ながら小雨ではあるが、成川渓谷では多くの猿が我々を向かえてくれた、、、のではなかった。ちょっと気を許した隙に、車の中を荒らされそうになる。2階の部屋へ行っても、ベランダは猿が占拠しており、申年の私も負けじと睨み合いをするも、やはりあちらが上手でしぶしぶと退散したのでありました。

  値段は安いし、料理はまあまあ、お風呂は隣にある温泉に入れるし、なかなかセボンな宿でありました。

7.28(Tue) 滑床渓谷沢登り=江川崎=足摺岬
 今日は念願の滑床渓谷です。いったん松野町まで広見川を下った後、滑床渓谷へ向かいます。予約出来なかった森の国ホテルを横目に、万年橋まで入りここに車を停めます。8:30ここから遡行開始です。左右にある探勝道を辿ってみたりしながら、雪輪の滝へ。ここでCと肩を組みながら対岸に渡り、谷に入ってからずっと心の中で思っていた疑念に確信を持ったのでありました。

 水量がべらぼうに多いのです。

 特に水は濁ってはいないのですが、これしきの沢で徒渉するのに、肩を組まねばならない筈が無いのです。雪輪の滝で水の流れに身をまかせて流されてみたいとの欲望はあっけなく崩れ去ったのでありました。だって、流されたら下の方の釜まで行ってしまいそうなのですもの。

  ここからは橋を辿って上流へ。ザイル・アブミがあれば、ブリッジングを用いて中央突破も可能か。千畳敷は美しいの一言に尽きます。三の俣を越えてしばらくで奥千畳敷だ。ここまであがると水量も減少してくる。天気も悪いため、遡行はここで打ち切り、11:30左の熊のコルを目指す。本流はここで右に分かれるが、左の方が水量は多い。頂上から見渡す宇和島の海を期待していたのであるが、残念ながら雨のために三本杭の頂上は割愛して、稜線経由で14:30万年橋へ下山する。

  森の国ホテルでLunchを、と考えていたのであるが、みすぼらしいかっこの私たちではだめだとのこと。ならばということで、清流目黒川沿いの道を下り、四万十川を目指す。そして夢にまで見た四万十川との御対面、、、しかし、、、えっ?これって清流?

 そうなんです、今私の目の前のある流れは、濁流なんです。

 正直なところ命の危険すら感じさせてくれる奴なんです。とりあえず、震える手をハンドルでおさえつけながら、カヌー館を目指します。ここで情報を集めたところ、かなり増水しているとのこと。上流で500mm以上の集中豪雨があり、2mは増水しているらしい。また今回の増水とは直接関係ないのだが、上流の十川では7月23日にベテランが一人死んだとのこと。私をびびらすには十分でありました。カヌー館前にあるべき中洲も水の下であることは勿論のことでありました。カヌー館の人も明日はやめた方がいいとのこと、翌々日になれば水位も下がるだろうとのこと。キャンプで連泊したことの無いCに連日の寝袋生活を強いるのは酷なことよ、、、ということで急遽足摺岬に向かうことにした。電話したところ、足摺岬にある足摺テルメという公営の宿に予約がとれたためだ。今回のテーマは「四万十川を頂上から河口まで」との目標であったが、先に太平洋を拝みに行くことにする。こういう場合、車は便利だ。臨機応変に対応できる。新しくできた四万十川大橋を渡って足摺へ。この橋から四万十川を見てびっくり、こんな河口でも濁流なのだ。恐るべし、四万十川。

 今日のねぐらは1998.6.1にオープンした足摺テルメだ。結構綺麗だ。プールにも入ることができる。ゆっくりと嫁さんの御機嫌をとる。

7.29(Wed) 足摺岬=江川崎T.S.
 今日は1日御機嫌とりをした後、江川崎に向かう予定だ。朝から足摺岬巡りをした後、竜串水族館海中展望台に行った後、昼食を土佐清水で、そして買い出しをした後、再び江川崎を目指す。昨日見たようにやはり川の水は濁ってはいるが、川の流れは明らかに緩やかになってきている。明日からの川下りが出来そうだということで、自然にボルテージは上がってくる。カヌー館の前にテントを張った後、ヘルスセンターで入浴し、盛大に夕食を食べる。やはり平日だということで、人は少ないが、隣に幕営したバイク野郎4人がいけない、結構遅くまではしゃいでいて、最初のキャンプの夜は不機嫌に過ごしたのでありました。あんらっきい。

 キャンプをする時には周囲を囲まれないようにしよう。

7.30(Thu) T.S.-佐田沈下橋下流T.S.
 今日は待望の四万十川下りの初日だ。天気は上々だし、水位もかなり減少し、カヌー館前の中洲もかなり見えている。しかし流れは相変わらず速そうだ。十分橋の上からカヌー館前の瀬を偵察をした後、車をデポしてカヌー館前を9:30に出発する。橋から偵察していたように、一番左側も水量があるために下ることが出来そうだ。1回だけ底を擦りそうになったが、何ということも無く瀬を漕ぎ下る。
 残念ながら水は濁っており、底は見えないが、流れに身を任せながら下っていく。夢にまで見た四万十川下りではあるが、あまり感慨にふけっている時間も無い。あまり瀞場は無く、淀みなく流れている中を、ひたすら流されていく。流れが速く、まじめに漕がないと艇が流れに腹を見せそうになってしまう。前にいる千代は流れに突っ込んで行くときには、少し怖がっているのか、ちょっとした流れになると「ロボコン漕ぎ」になってしまう。後ろの私はバランスをとりながら、後ろから笑ってしまう。前にいる人は損ですよね、全ての動きが丸見えですから。

 ほんの30分程で瀬大橋へ。ここからも雄大な流れに身を任せ、瀬ではなるべくインコースをとるように注意しながら、流されていく。そう、漕ぎ下るというよりも流されるという言葉がぴったりであった。

 岩間の沈下橋までは1時間20分程度であった。ここで一旦、休息、なかなか静かでいいT.S.だ。芽生の瀬もやや本流の左側を何ということもなく突破する。概してインコースをとっていけば問題になる箇所は全くない。こんなに速く下るつもりは毛頭無いのに、、、どんどん流されてしまう。千代も御機嫌だ。

 口屋内の沈下橋のたもとの右側の河原に再度上陸して、酒井商店に昼御飯の買い出しに行く。ここの沈下橋周囲では4艇のポリ艇が瀬で遊んでいた。しかし、いくら呼べども待てども店の人は全く出てこない。田んぼにでも行っているのだろうか。値段を計算して少し多めにお金をおいていく。日差しは猛烈に強くなってきており、日陰がないためにゆっくりすることもできない。とりあえず冷たさを求めて、また下り初めてしまった。ここまで下ると流れも緩やかになってきて、瀬の一番流れの速い場所を選んでも安心だ。勝間の沈下橋の下はいい日よけになる場所があったので、ここで昼食。日に焼けた部分が焼けるように痛い。ここには地元の小学生が流れのきつい中、対岸まで泳いだりしている。ここは河原が広いのでどこでもテントは張り放題だ。

  まだ14:00で時間があるということで、さらに下流を目指す。一応、どこででも幕営できるように、10Lの水を足下においておいた。できれば三里近くでと考えながら、再スタートだ。徐々に水は透明度を増していくが、いかんせん先週に錦川をみているため、お世辞にも綺麗とはいえない。川登には1時間足らずで到着。この辺りからは、漁師さんの仕掛けが目に付く。四万十川はここで再度、山がせまり人工物が見えなくなってくる。川登大橋の先で右から手洗川が合流してくるが、ここでは結構な水量が合流してくるうえに、流れが左に屈曲しており、複雑な流れを呈している。浅瀬を避けるあまり、この流れにつかまってしまい、結構怖い思いをしました。今回の行程の中で一番緊張した部分でありました。(勿論、Cはロボコン漕ぎ、、、)この下流は左岸に河原が広がるとともに、右岸には人工物が認められず、幕営したくなる場所なのですが、いかんせんダンプカーの交通が多く、騒々しくて今一つです。仕方なく、このまま下っていきます。この辺りからは屋形船の交通にも注意する必要があります。上ってくる船はいいのですが、下ってくる船が結構怖い。三里の沈下橋付近にもいい河原がありますが、この橋の先の左岸には山肌を削りまくって土を採取しているので非常にうるさい。先程のダンプカーはここへ向かっていたわけです。

 むき出しになった山肌が痛々しい。

 ここも幕営不適当ということで、更に下っていく。右にカーブを曲がっていけば、四万十川最後の沈下橋、佐田だ。しかし、徐々にその全貌を現わしてくる橋には、なぜか無数の人だかりだ。観光客だ。げげっ、あんなに人がいる所では幕営なんかできない、ということで更に流されていく。もう早いところ幕営地を見つけなければ、平野部にでてしまう。ということで沈下橋の下流で流れが左に向かう場所の左岸に、16:30上陸する。ここはちょうど、2万5000分の1の地図で神社がある部分の対岸だ。Cは、「私たち、川乞食?」と少しぐれているが、私は結構ここが気に入りました。対岸を通る車も少なく静かなのです。

 なかなかセボンじゃん。

 ゆっくりテントを張ってくつろいでいると、「ぶーん」と真新しくきらきら光る白い軽トラックに乗って、川漁師の老夫婦と孫とおぼしき水着を着た女の子が明朝のために手長エビの仕掛けの用意をしにこられました。「今は結構、増水しているんですかね?」と私。「普段はここは流れがないけれども、結構増水しています。一昨日はトラックを流されてしまいました。」「えっ?、、、」お聞きしたところによると、一昨日トラックをおいて漁にでたところ、水位が上がってくるのに気がつかずに、戻ってきた時にはもう水がトラック周囲にまで迫ってきていたのだそうだ。一旦河原が水につかってしまうと、脱出は非常に困難なのだそうだ。それから4mは増水したそうだ。「船で下流にトラックを探しにいったら、赤鉄橋の手前にひっかかっておりましたわ。」笑ってはいけない。「引き上げるのにお金はかかるし、新しいのを今日買いましたし。大損です。流されたのも買ってからまだ6カ月の新品だったのに。」「、、、(無言)」

 恐るべし、四万十川。

 夕食の後、夜は満点の星空を眺めながら眠りに着く。

7.31(Fri) T.S.-河口-(江川崎まで自転車)=高知
 久しぶりに雲一つないさわやかな朝を迎える。水はさらに減少しているようだ。昨日の老夫婦が川エビを見せてくれたが、やはり年々獲れる数は減っているそうだ。早々と用意をした後、河口を目指して7:30に出発。赤鉄橋までは流れがあり、楽に進めるが、この先では漕がなければ全く進まない。Cはお疲れ気味なので、体育会系統の私がマジ漕ぎで少しづつ河口が近づいてくる。何の魚かはわからないが、どぼん、どぼんと魚がジャンプしている。そして海が近いことが風のにおいでわかる。
 10:30下田港の砂浜に念願の上陸だ。砂浜を駆け上がればそこには大きな太平洋が横たわっていた。太平洋の荒波が打ち寄せてくる

 でかい。

 カヤックと荷物を約200m東にある芝生のある公園に運び、荷物の整理をCに頼んで、私は車の回収に向かうことにする。神戸を出発する前にこの近くのオートキャンプ場の「とまろっと」にロードレーサーを宅配していたのでありました。坂の向こうにあるので、歩いて15分ぐらいかかりますが、整備されたキャンプ場で嫌な顔もされずに自転車を受け取ることができました。ありがとうございました。

 自転車を組み立てた後、回収にスタート!川沿いに北上した後、卸売市場の前を通った後に橋を渡り後川の右岸を駆け上がる。トンネルを越えて再び四万十川沿いに走っていきます。この道が一番早く着けるでしょう。ロードレーサーを操りながら垣間見る四万十川は、昨日一昨日とは比べ物に成らないほど水量が減少していました。

 カヤックでは上半身主体の運動なので、まだまだ足の方は元気です。ばく進して江川崎へ。後半ばててしまいましたが、ジャスト99分でした。「とまろっと」にはレンタルのマウンテンバイクもあるので、これで回収にいくのも一つの手ではないだろうか。

 「いつかまた、濁流ではなくて、清流の四万十川を下りにくるからね。」

 下田に向かう車の中で、四万十川の流れをしっかりとまぶたの裏に焼き付ける私でありました。下田で荷物を全て車に積み込んだ後、展望台へ向かう。やはり、今は増水しているためか、河口からの流れと海の色が明らかに異なっており、四万十の流れはやや緑がかって濁っておりました。

 1日で神戸に帰るのはしんどいということで、今日は高知までとする。高知では安ホテルをキープして汗を流した後、はりまや橋近くの酔鯨亭という居酒屋に向かう。なかなかおいしかったです。

8. 1(Sat) 高知観光=神戸
 高知へ来たならば、行かなければいけない場所がある。

 それは、重要文化財に指定されている高知城だ。

 全日本お城研究会を自称する私としては、放っておいてはいけない。道が発達するまでは川が交通の手段であり、昔から川とお城は深いつながりがあるのだ。川を下っていけばかならずお城にぶつかるのである。これは私のお勧めプランであるが、川下りの帰りでもに是非立ち寄って頂きたい。

・姫路城(国宝) 近くにはあまり川は無いが、やはり日本を代表するお城です。
・彦根城(国宝) 琵琶湖
・松本城(国宝) 千曲川、犀川、etc
・犬山城(国宝) 木曾川
・弘前城(重要文化財) 北上川
・丸岡城(重要文化財) 九頭竜川?私の故郷なんですが、この川は絶対下れると思っていますが、いかがなものでしょうか?誰か知っている人、情報下さい。
・備中松山城(重要文化財) 高梁川
・松江城(重要文化財) 江川 
・丸亀城(重要文化財) 
・高知城(重要文化財) 
・松山城(重要文化財) 
・宇和島城(重要文化財) 以上4つは四国にありますので、四万十川、仁淀川、吉野川などに行ったおりにお立ちより下さい。

 少し脱線いたしましたが、県立美術館前の駐車場に駐車して、モーニングを食べて、そして登城だ。二の丸から本丸への造りは、あの彦根城の橋のようで素晴らしい造りだ。守りの城という面と美を兼ね備えた造りだ。天守閣からは高知市内が一望できる。かずかずの英才を輩出した土佐藩の中心であったと考えると、考えもひとしおだ。お城を下りた後は、県立美術館で鑑賞、そしていよいよ神戸に戻る。3時間45分走れば到着だ。今回は1226kmのドライブでした。

 今年は日本での夏休みでありましたが、あこがれの四国西南部に足を踏み入れることができて、幸せであった。いつの日か再び訪れてみたいものだ。その時まで、今のままの美しい四万十川であることを。



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