1998年 四国 四万十川 計画書
1998
Summer vacation plan in Shikoku
地域:四国、高知、四万十川流域 メンバー:Y, C 行程: 装備:ボイジャー450T一式、DUNLOP2人用(1)、シュラフ(2)、マット(1) ▼前島フェリー 0869-34-4356 |
1998年 四国 四万十川 報告書
1998
Summer vacation report in Shikoku
地域:四国、高知、四万十川流域 7.26(Sun) 前島(心臓病の子供を守る会サマーキャンプ)=岡山土屋邸宿泊
14時のフェリーに乗った後、岡山の土屋家にお邪魔することにする。ここで洗濯、入浴をさせていただいた。夕食はネギ焼きのお好み焼きを食べにいく。なかなか旨い。 7.27(Mon) 9:30
岡山=12:00伊予(194.1km,\8450)=14:30宇和島(120km)=成川渓谷休養センター宿泊 それは、重要文化財に指定されている宇和島城だ。 全国に残存する旧天守閣の、4つの国宝・8つの重要文化財の中で、この四国は4つの重要文化財を有しているのだ。駐車場に車を停めた後、天守を目指す。もともと宇和島と呼ばれていたよう、ここはもともとは海に浮かぶ島だったのだ。藤堂高虎が築城し、名門伊達家が明治まで続いた名門だ。天守台に登ると、周囲の景色は絶景だ。目の前には海が見渡せる。天守は三層から成り、急な階段を登って最上層へ、絶景だ。 しばし景色に見入った後、宇和島の商店街を散策し、必要な買い出しをここで行い、今日のねぐらの成川渓谷に向かう。天気は残念ながら小雨ではあるが、成川渓谷では多くの猿が我々を向かえてくれた、、、のではなかった。ちょっと気を許した隙に、車の中を荒らされそうになる。2階の部屋へ行っても、ベランダは猿が占拠しており、申年の私も負けじと睨み合いをするも、やはりあちらが上手でしぶしぶと退散したのでありました。 値段は安いし、料理はまあまあ、お風呂は隣にある温泉に入れるし、なかなかセボンな宿でありました。 7.28(Tue) 滑床渓谷沢登り=江川崎=足摺岬 水量がべらぼうに多いのです。 特に水は濁ってはいないのですが、これしきの沢で徒渉するのに、肩を組まねばならない筈が無いのです。雪輪の滝で水の流れに身をまかせて流されてみたいとの欲望はあっけなく崩れ去ったのでありました。だって、流されたら下の方の釜まで行ってしまいそうなのですもの。 ここからは橋を辿って上流へ。ザイル・アブミがあれば、ブリッジングを用いて中央突破も可能か。千畳敷は美しいの一言に尽きます。三の俣を越えてしばらくで奥千畳敷だ。ここまであがると水量も減少してくる。天気も悪いため、遡行はここで打ち切り、11:30左の熊のコルを目指す。本流はここで右に分かれるが、左の方が水量は多い。頂上から見渡す宇和島の海を期待していたのであるが、残念ながら雨のために三本杭の頂上は割愛して、稜線経由で14:30万年橋へ下山する。 森の国ホテルでLunchを、と考えていたのであるが、みすぼらしいかっこの私たちではだめだとのこと。ならばということで、清流目黒川沿いの道を下り、四万十川を目指す。そして夢にまで見た四万十川との御対面、、、しかし、、、えっ?これって清流? そうなんです、今私の目の前のある流れは、濁流なんです。 正直なところ命の危険すら感じさせてくれる奴なんです。とりあえず、震える手をハンドルでおさえつけながら、カヌー館を目指します。ここで情報を集めたところ、かなり増水しているとのこと。上流で500mm以上の集中豪雨があり、2mは増水しているらしい。また今回の増水とは直接関係ないのだが、上流の十川では7月23日にベテランが一人死んだとのこと。私をびびらすには十分でありました。カヌー館前にあるべき中洲も水の下であることは勿論のことでありました。カヌー館の人も明日はやめた方がいいとのこと、翌々日になれば水位も下がるだろうとのこと。キャンプで連泊したことの無いCに連日の寝袋生活を強いるのは酷なことよ、、、ということで急遽足摺岬に向かうことにした。電話したところ、足摺岬にある足摺テルメという公営の宿に予約がとれたためだ。今回のテーマは「四万十川を頂上から河口まで」との目標であったが、先に太平洋を拝みに行くことにする。こういう場合、車は便利だ。臨機応変に対応できる。新しくできた四万十川大橋を渡って足摺へ。この橋から四万十川を見てびっくり、こんな河口でも濁流なのだ。恐るべし、四万十川。 今日のねぐらは1998.6.1にオープンした足摺テルメだ。結構綺麗だ。プールにも入ることができる。ゆっくりと嫁さんの御機嫌をとる。 7.29(Wed) 足摺岬=江川崎T.S. キャンプをする時には周囲を囲まれないようにしよう。 7.30(Thu) T.S.-佐田沈下橋下流T.S. ほんの30分程で瀬大橋へ。ここからも雄大な流れに身を任せ、瀬ではなるべくインコースをとるように注意しながら、流されていく。そう、漕ぎ下るというよりも流されるという言葉がぴったりであった。 岩間の沈下橋までは1時間20分程度であった。ここで一旦、休息、なかなか静かでいいT.S.だ。芽生の瀬もやや本流の左側を何ということもなく突破する。概してインコースをとっていけば問題になる箇所は全くない。こんなに速く下るつもりは毛頭無いのに、、、どんどん流されてしまう。千代も御機嫌だ。 口屋内の沈下橋のたもとの右側の河原に再度上陸して、酒井商店に昼御飯の買い出しに行く。ここの沈下橋周囲では4艇のポリ艇が瀬で遊んでいた。しかし、いくら呼べども待てども店の人は全く出てこない。田んぼにでも行っているのだろうか。値段を計算して少し多めにお金をおいていく。日差しは猛烈に強くなってきており、日陰がないためにゆっくりすることもできない。とりあえず冷たさを求めて、また下り初めてしまった。ここまで下ると流れも緩やかになってきて、瀬の一番流れの速い場所を選んでも安心だ。勝間の沈下橋の下はいい日よけになる場所があったので、ここで昼食。日に焼けた部分が焼けるように痛い。ここには地元の小学生が流れのきつい中、対岸まで泳いだりしている。ここは河原が広いのでどこでもテントは張り放題だ。 まだ14:00で時間があるということで、さらに下流を目指す。一応、どこででも幕営できるように、10Lの水を足下においておいた。できれば三里近くでと考えながら、再スタートだ。徐々に水は透明度を増していくが、いかんせん先週に錦川をみているため、お世辞にも綺麗とはいえない。川登には1時間足らずで到着。この辺りからは、漁師さんの仕掛けが目に付く。四万十川はここで再度、山がせまり人工物が見えなくなってくる。川登大橋の先で右から手洗川が合流してくるが、ここでは結構な水量が合流してくるうえに、流れが左に屈曲しており、複雑な流れを呈している。浅瀬を避けるあまり、この流れにつかまってしまい、結構怖い思いをしました。今回の行程の中で一番緊張した部分でありました。(勿論、Cはロボコン漕ぎ、、、)この下流は左岸に河原が広がるとともに、右岸には人工物が認められず、幕営したくなる場所なのですが、いかんせんダンプカーの交通が多く、騒々しくて今一つです。仕方なく、このまま下っていきます。この辺りからは屋形船の交通にも注意する必要があります。上ってくる船はいいのですが、下ってくる船が結構怖い。三里の沈下橋付近にもいい河原がありますが、この橋の先の左岸には山肌を削りまくって土を採取しているので非常にうるさい。先程のダンプカーはここへ向かっていたわけです。 むき出しになった山肌が痛々しい。 ここも幕営不適当ということで、更に下っていく。右にカーブを曲がっていけば、四万十川最後の沈下橋、佐田だ。しかし、徐々にその全貌を現わしてくる橋には、なぜか無数の人だかりだ。観光客だ。げげっ、あんなに人がいる所では幕営なんかできない、ということで更に流されていく。もう早いところ幕営地を見つけなければ、平野部にでてしまう。ということで沈下橋の下流で流れが左に向かう場所の左岸に、16:30上陸する。ここはちょうど、2万5000分の1の地図で神社がある部分の対岸だ。Cは、「私たち、川乞食?」と少しぐれているが、私は結構ここが気に入りました。対岸を通る車も少なく静かなのです。 なかなかセボンじゃん。 ゆっくりテントを張ってくつろいでいると、「ぶーん」と真新しくきらきら光る白い軽トラックに乗って、川漁師の老夫婦と孫とおぼしき水着を着た女の子が明朝のために手長エビの仕掛けの用意をしにこられました。「今は結構、増水しているんですかね?」と私。「普段はここは流れがないけれども、結構増水しています。一昨日はトラックを流されてしまいました。」「えっ?、、、」お聞きしたところによると、一昨日トラックをおいて漁にでたところ、水位が上がってくるのに気がつかずに、戻ってきた時にはもう水がトラック周囲にまで迫ってきていたのだそうだ。一旦河原が水につかってしまうと、脱出は非常に困難なのだそうだ。それから4mは増水したそうだ。「船で下流にトラックを探しにいったら、赤鉄橋の手前にひっかかっておりましたわ。」笑ってはいけない。「引き上げるのにお金はかかるし、新しいのを今日買いましたし。大損です。流されたのも買ってからまだ6カ月の新品だったのに。」「、、、(無言)」 恐るべし、四万十川。 夕食の後、夜は満点の星空を眺めながら眠りに着く。 7.31(Fri) T.S.-河口-(江川崎まで自転車)=高知 でかい。 カヤックと荷物を約200m東にある芝生のある公園に運び、荷物の整理をCに頼んで、私は車の回収に向かうことにする。神戸を出発する前にこの近くのオートキャンプ場の「とまろっと」にロードレーサーを宅配していたのでありました。坂の向こうにあるので、歩いて15分ぐらいかかりますが、整備されたキャンプ場で嫌な顔もされずに自転車を受け取ることができました。ありがとうございました。 自転車を組み立てた後、回収にスタート!川沿いに北上した後、卸売市場の前を通った後に橋を渡り後川の右岸を駆け上がる。トンネルを越えて再び四万十川沿いに走っていきます。この道が一番早く着けるでしょう。ロードレーサーを操りながら垣間見る四万十川は、昨日一昨日とは比べ物に成らないほど水量が減少していました。 カヤックでは上半身主体の運動なので、まだまだ足の方は元気です。ばく進して江川崎へ。後半ばててしまいましたが、ジャスト99分でした。「とまろっと」にはレンタルのマウンテンバイクもあるので、これで回収にいくのも一つの手ではないだろうか。 「いつかまた、濁流ではなくて、清流の四万十川を下りにくるからね。」 下田に向かう車の中で、四万十川の流れをしっかりとまぶたの裏に焼き付ける私でありました。下田で荷物を全て車に積み込んだ後、展望台へ向かう。やはり、今は増水しているためか、河口からの流れと海の色が明らかに異なっており、四万十の流れはやや緑がかって濁っておりました。 1日で神戸に帰るのはしんどいということで、今日は高知までとする。高知では安ホテルをキープして汗を流した後、はりまや橋近くの酔鯨亭という居酒屋に向かう。なかなかおいしかったです。 8. 1(Sat) 高知観光=神戸 それは、重要文化財に指定されている高知城だ。 全日本お城研究会を自称する私としては、放っておいてはいけない。道が発達するまでは川が交通の手段であり、昔から川とお城は深いつながりがあるのだ。川を下っていけばかならずお城にぶつかるのである。これは私のお勧めプランであるが、川下りの帰りでもに是非立ち寄って頂きたい。 ・姫路城(国宝) 近くにはあまり川は無いが、やはり日本を代表するお城です。 少し脱線いたしましたが、県立美術館前の駐車場に駐車して、モーニングを食べて、そして登城だ。二の丸から本丸への造りは、あの彦根城の橋のようで素晴らしい造りだ。守りの城という面と美を兼ね備えた造りだ。天守閣からは高知市内が一望できる。かずかずの英才を輩出した土佐藩の中心であったと考えると、考えもひとしおだ。お城を下りた後は、県立美術館で鑑賞、そしていよいよ神戸に戻る。3時間45分走れば到着だ。今回は1226kmのドライブでした。 今年は日本での夏休みでありましたが、あこがれの四国西南部に足を踏み入れることができて、幸せであった。いつの日か再び訪れてみたいものだ。その時まで、今のままの美しい四万十川であることを。 |