Race Report


 2001/8/13 (Mon) 御嶽スーパートライアスロン
 以前からトライアスロン等の競技レースへの参加には興味があったのであるが、山を登ることの方が面白かったので、こういった競技に参加することは無かった。しかし、仕事が非常に忙しくなってきて、まとまった時間がとれなくなってくると、一日で完結する『レース』というものに親しみを感じていた。そこで、2001年の目標ということで、4月から禁煙とトライアスロンへの参加を目標に練習を開始した。

 さて、第一回目のレースを何にしようかと考えて調べていたのだが、やはりやるからにはしんどいやつ、しかし、水泳があまり得意ではない私には、普通のトライアスロンはしんどい。デュアスロンでは、舞鶴インターナショナルがあったのだが、時間的に厳しいし、少し物足りない感がする。そうやって、いろいろ調べているうちに行き着いたのが『御嶽スーパートライアスロン』だ。この大会は、過酷なことで知られているが、バイク・登山・ランニングという三種なので、私にもとっつきやすいと言えたのだ。コースは、バイク16kmのヒルクライム(標高差1027m)、頂上(3067m)までの10km往復登山(標高差1240m)、ランニング16kmのバイクと同じコース(標高差1027m)、合計42km(標高差2267m)だ。

 この大会に目標を据えて、ヒルクライム・ランニングに重きをおいて練習を行い、いよいよ7月に申し込みをしようとすると、何と、数日前に申し込みを締め切った、というではないか。電話ではらちがあかないので、この大会へのこれまでの熱意、練習、そして私が医師であり、緊急時には有用であるかもしれない、などのアピールをして速達で送ったところ、何とか申し込みを受領して頂けた。ゼッケン番号は最後だったので、110人中110番

 7月には南アルプス北岳(3192m)に登山し、頂上稜線でランニングし高度順応を行い、また御岳にも下見をして、バイクコースを実際に自転車で試走、相当のヒルクライムであることを 実感し、前後のタイヤを軽量のSHIMANO製(前後で7万円)に変更、ギヤもフロント42枚では坂をあがらないので、39枚に交換する。

 そんなこんなで準備した『御嶽スーパートライアスロン』。大会は小規模なのだが、前日のRegistrationに行くと、筋肉質の猛者がわんさかおり、完全に気合負け。初めてのレースということもあり、自分のレースをするだけと思い、その日はゆっくり寝る。
 いよいよ決戦の日だ。スタートは朝6時。ひんやりとした朝の冷気が気持ちいい。緊張の面持ちで、スタートの号砲、いざ出発!

 110台の自転車が出発していく姿は壮観だ。私は最後尾からのスタート、しばらくは追い抜き禁止区域なのだが、徐々にみんなスピードアップしていく。みんな凄い勢いで登るのかと思いきや、スピードを抑えている。まだ傾斜も緩い区間であるので、大外からごぼう抜きしていく。ゼッケン順にスタートしていったので、先頭集団は遥か先だが、ゼッケン10番台の選手も確認する。コースも中間点付近になると、いよいよつづら折のヒルクライムが始まる。やはり1000mのヒルクライムははんぱじゃない。ギヤを一番軽くして、しんどい所ではじぐざぐに走りながら高度を上げる。集団もかなりばらけてきて、抜いたり抜かれたりは全く無くなってくる。足への負担を抑えながら登り切ると、6合目のトランジット。ここでVAAMを補給。タイムは1時間12分34秒(33位)、結構上位であることを教えてもらう。

 ここからが登山のセクションだ。山登りの要領で疲労しないように着実に登っていく。すぐに数人を抜いていく。しかし、完全に集団がばらけているので、ここからは個人の戦いだ。8合目までは結構傾斜も緩いのだが、その先で傾斜も強くなる。9合目で、折り返してきた先頭とすれ違う。いよいよ酸素が薄くなってくるのがわかる。少しでも傾斜が緩くなれば小走りになってスピードをあげる。そして、最後の頂上直下の階段。これが物凄いこたえる。周囲からは物凄い歓声なのだが、足がつりそうなので、10秒くらい立ち止まってから、一歩一歩確実に頂上へ。スタンプを押してもらってから、下りへ突入。先程までの負荷が嘘のように楽だ。重力に任せて走り下っていく。ただ、このレースはストック禁止であるので、膝・足首を壊さないように注意しながら下る。特にロープウエイと分かれてからのセクションは、滑りやすい木道があるので、注意が必要だ。このセクションは本当に静かで、コースを間違ったのではないかと思うくらいの所だ。

 3時間28分11秒(29位)で6合目を通過。登山のラップは2時間15分37秒(27位)であった。ここから、下りのランニングだ。ある程度は楽なのであるが、3時間以上も行動しているので、少し乳酸がたまってきている。そして、道路に出るので、夏の暑い日差が容赦なく照りつける。緩傾斜帯に入ると、いよいよペースが落ちてくる。完全にペースダウン。しかし、あと5kmの看板に勇気付けられて、少しずつ歩を進める。ここに来て、早いペースの後続者に抜かれるが、全くついていくことが出来ない。かろうじて、一人抜き去る。そして、ゴール地点へ。私の名前がコールされているのがわかる。ラストスパートをかけて、感動のゴール!

 タイムは4時間54分56秒(31位)、ランのラップは1時間26分45秒(58位)であった。

 ゴールでは大会主催者と握手。締め切りを過ぎて申し込んだ参加者であることを伝えると、『いい記録が出せて良かったね』、と言われる。私としても無理に参加させていただいたので、いい記録でフィニッシュできて、本当に嬉しかった。

 大会としては、こじんまりとしたものではあるが、日本一過酷なトライスロンという言葉には納得するものもあり、非常に満足することの出来る大会であった。優勝タイムは3時間37分53秒。最後のランでふがいなかっただけに、再挑戦して、もっと上位を目指していきたいものだ。

コース攻略のコツ
(1)
バイクで結構差がついてしまうので、いいバイクを用意しよう。
(2) 給水ポイントが少ないので、自分で用意したほうがいいであろう。出来れば、チューブのついたやつ。
(3) 早めに申し込んで、いいスタート位置をゲットしよう。
(4) 下りのアスファルトの猛暑は相当しんどい。

 2001/10/7 (Sun) 第9回日本山岳耐久レース
 2回目の大会もやはり登山系のものがいいだろうということで、日本一過酷な山岳レース、『日本山岳耐久レース=長谷川カップ』に出場する。このレースは東京都山岳連盟が主催するもので、奥多摩の山中を昼夜71.5km走るもの。スタート地点の標高は170mで、最高地点の三頭山は1527m、標高差1357mだ。制限時間は24時間

 スタートは午後1時。中学校のグラウンドからスタート! ヘリコプターの取材まである。さすがに1200人以上のスタートは圧巻だ。スタートしてしばらくは舗装路だ。みんな凄いペースだ。一旦山道に入り、峠を越えた後、再度舗装路を下っていく。結構抜かれるが、先は長いので抜かれるままとする。

 今熊神社からは本格的な山道になる。ここから、みんなのスピードがぐっと落ちるので、追い抜きモードに入る。ここまでは、山岳部の後輩の香山君と一緒であったが、以後会うことは無かった。だらだらとしたアップダウンが続き、ストックを手にしている私は、主に下りでごぼう抜きにして、順位を少しずつ上げていく。しかし、連行峰の登りではやや苦しめられる。

 3時間21分06秒(57位)第一関門を通過。大分集団もばらけてきた。
ここから夕暮れを迎える。追い抜いている感じはしないのだが、前半のとばし過ぎで脱落している人(立ち止まっている人)がいるので、少しづつ順位を上げる。笛吹峠でヘッドランプを装着。西原峠からは、本格的な登りだ。息もあがってきて、ペースが上がらない。そして、真っ暗闇の中、女子選手に抜かれた。ショック。そして、このコースの最高点、三頭山1527m。頂上には、大会運営の人がかがり火をたいている。そこから、鞘口峠に向けて急激な下りだ。ストックワークを駆使して、軽快に下っていく。しかし、小河内峠までのちょっとした登りでもしんどくなってきた。惰性で第二関門である小河内峠に到着。6時間57分45秒(47位)、ここで飲み物の補給を受ける。そして、再び真っ暗闇の中へ突っ込んでいく。『何でこんなことしてるんやろ?』と自分でもおかしくなってくる。

 ここから、御前山大岳山への2つの登りがある。水分・栄養補給をしながら着実に登っていく。周囲は全くの暗闇で、先行者、後続者も全く見えないので、自分との戦いになる。やはりこの辺りに来てペースが落ちる。大岳山を過ぎて大きな登りが無くなるので、一安心、惰性で第三関門に向かう。第三関門は、10時間17分28秒(46位)、ここで水を飲み、ヘッドライトの電池交換を行う。第二関門からのセクションで時間がかかったので、目標としていた12時間以内での完走はしんどくなってきた。

 ここからは延々とした下りだ。明るい、元気な時であれば、一気に下れるのであろうが、今の自分には厳しい限りだ。少しの登りでもひーひー。とうとうへたりこんでしまう。羊羹と水をほおばり、2分程すると、奇跡的に元気が湧いてきたので、着実に小走りで下っていく。東京の夜景が美しい。しかし、楽しむ余裕は無い。町の明かりを目指してひたすら下っていくと、ようやく神社を通過、道も舗装路になる。少しペースアップ。ストックでリズムをとりながら、ゴールラインを目指す。

 住宅街を走り、もう日付も変わっているのだが、最後は拍手に迎えられながら、感動のゴール! タイム12時間17分25秒、総合48位/1091人、男子45位、年齢別(男子30台)15位であった。ちなみに優勝タイムは8時間53分07秒であった。

 その後、風呂に入って体育館で仮眠、神戸への帰路に着いたのであった。帰路については、あまり正確な記憶がないくらい憔悴しきっていた。

 このレースは、ウルトラマラソン以上のハードなレースであるとの評判だ。ウルトラが明るい時間に走るのに対して、こちらは、午後1時出発というあたり、暗闇の中を走るということが前提にあるレースだ。暗闇でのルートファインディング、ストックワーク、ヘッドランプ、水分・栄養補給、、、。このレースは、総合力のいる点で、私自身日本でも有数のハードコースであると思っている。コースの概略も判ってきたので、また是非走ってみたいコースだ。次回は何としても12時間を切りたい。

コース攻略のコツ
(1)
前半の山道での追い抜きは、結構大変なので、前の方に位置しよう。そして、イーブンで通過して、第一チェック手前から抜いていくのがいいかもしれない。
(2) 荷物の軽量化。
(3) 水は多すぎず、少なすぎず、チューブで飲めるようにしよう。温度にもよるが、2Lで十分か。
(4) 長いルートなので、栄養補給は絶対に必要だ。歩きながら、走りながら出来るものを用意しよう。
(5) ヘッドランプは高性能のものを用意しよう。ヘッドランプ+首もとにダイオードがいいと思う。
(6) 登りでのタイムも差がつくが、下りでも結構差がついている。山道を駆け下る脚力をつけることと、早く下るためにも、強力なライトを用意すること。
(7) 強靭な足をもっているのならいいが、そうでないならば、ストックは安全にレースを終わることが出来るためには必用だ。ただ、最近ストックの使用に制限があるようなので、注意が必要だ。(第一関門以降でしか使用できない。)

(8) 私のはいているワコールのサポートタイツは、膝の衝撃軽減には、少なからずも寄与しているようだ。

 2001/11/25 (Sun) 尼崎シティ国際マラソン

 春から走ってきた私であるが、やはりフルマラソン完走は、何としてもクリアしなければいけない壁であった。どちらかというと、山岳コースが大好きな私であり、少々不安もあったが、初マラソンは地元の尼崎の大会に出場することとする。ただし体調は、風邪をひいたり、当直が続いたりで最悪。

 大会の会場である、尼崎陸上競技場は、立派な会場だ。参加人数は5000人以上、私が見たことのない人数がそろっているが、多くは10kmのレース参加者のようだ。マラソンランナーの有森さんも参加しているらしいのだが、どこにいるかは、全くわからない。


 10時31分、スタート。ややびびりぎみのレイトスタート。出だしから8km近く、市街道を走るのだが、非常に気持ちがいい。応援の声援も気持ちがいい。ついつい、ペースもあがってしまう。8km地点からは、河川敷を走るコースになる。12.9kmの折り返しも問題なく通過、21km中間点付近から少々足が重くなってくる。中間点の通過は、1時間39分39秒28.5kmまでは、追い風に助けられて何とかペースを維持するが、そこからの向かい風に完全にやられる。同じくらいのペースの人の真後ろにはりついて、何とかやり過ごす。37kmまでは、またしても追い風で惰性で走る。

 40km通過、足が棍棒のようになってきた。足がつらないように注意しながらゴールに滑り込む。3時間41分07秒、100位/552人であった。後半は2時間1分28秒もかかってしまった。体調はいまいちであったのだが、しばらく筋肉痛は続いた。山を登る方が非常に楽で、マラソンの過酷さをしみじみと感じた一日であった。

コース攻略のコツ
(1)
河川敷 を走るコースであるので、風の影響をもろに受ける。いい風除けになってくれそうな人を探そう。
(2) 砂地のコースが多いので、けり足が利きにくいことが多かった。それなりにいい靴がいいのであろうか、、、。
 2001/12/9 (Sun) 第8回東山36峰マウンテンマラソン
 やはり山岳レースが大好きな私であるが、いろいろ検索してみると、京都で面白い大会があることを発見し、参加することとする。その名も『東山36峰マウンテンマラソン』。京都市街の東側に連なる山々を、宝ヶ池から、伏見稲荷まで駆け抜けるコースだ。

 ゼッケンはレース当日の朝ピックアップするという、簡単なもの。フルマラソンの申告タイムで、3グループに別れて10時05分スタートする。私は、最初のグループ。宝ヶ池を一周した後、水飲み対陣まで登っていくのだが、結構みんな早い。抜かれるままに自分のペースを守る。そこから、延々と下りが続くが、マラソンランナーが多いせいか、山岳慣れしている私には下りのペースが遅すぎるので、追い抜きモードに入る。いったん、市街道を横切った後、今度は大文字への登りだ。先頭とは10分差と言われるが、もういっぱいいっぱいだ。着実に大文字を登り切り、再度下りに入っていく。この辺りから、かなり集団もばらけてきた。蹴上まで下ってきて、自動車道を登っていくが、この辺りからペースが上がらなくなってきた。女子選手にも抜かれてしまう。清水山への登りはだらだらとした登りで消耗する。このセクションで、10分遅れの集団の一人に抜かれる。ここから、住宅街を抜けるルートであるが、ランナーはこういった所が早く数人に抜かれる。そして、最後の稲荷山への登りにさしかかる。足がいっぱいいっぱいだが、地面をはねるようにたたいて、立ち止まらないように駆け上がっていく。頂上からは、惰性。そして、伏見稲荷にゴール!

 タイムは3時間6分17秒(59位/598人)、目標としていた3時間は、後半の失速がたたり、残念ながら切ることが出来なかった。関西ならば、お気軽に参加できる大会であるので、また参加してみたいものだ。

コース攻略のコツ
(1)
水飲対陣までの登りは抜き所が少ない。またその先の下りも少ない。
(2) 下りは、みんなゆっくりペースの人が多い。山岳レース慣れしているならば、豪快に抜いていこう。
(3) 給水ポイントが限られているので、ある程度自分で用意しよう。
 2002/2/3 (Sun) 第19回京都木津川マラソン
 日本にいる間に、もうひとつマラソン大会に参加したかったので、京都で行われる大会に参加することとした。ただ今回も、風邪をひいたり、当直やらで、体調は最悪。

 コースは木津川の河川敷を走るもの。関西では人気のある市民マラソンであるが、残念ながら、チップを導入していない。スタートは 混雑したスタート、全くペースがあがらないので、1km過ぎから、豪快に抜いていくが、これがいけなかった。追い風であり、1km4分25秒程度で走って行く。10km程走る頃から、かなりオーバーペースであったことに気づかされる。それから先は、地獄のようなレース。30km過ぎからは、歩いたりしながらなので、1km7分ペースまで落ちる。やはり、4時間を越えるようなら駄目だと考えて、それだけは上回ろうと考えてレースを進める。疲労困憊のままゴール。

 タイムは3時間55分48秒(749位/1174人)、ペース配分の大切さを再確認したレースであった。レース翌日に測定したCK値は2460であった。マラソンって、体に悪いな〜。

コース攻略のコツ
(1)
チップでは無いので、いいポジションからのスタートをお勧めする。
(2) 河川敷なので、もろに風の影響を受ける。(特にこの季節は北風)



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