積雪期黒部横断  (同門誌 2014)



1. はじめに 積雪期黒部横断は、雪山を登る者であればいつかはやってみたい対象・夢ではないだろうか。大学時代思う存分山を登った私であるが、大学卒業に際してその集大成として選んだのが、この黒部横断であった。

2. 計画 黒部横断の醍醐味は、計画段階にあるといっても過言ではなかろう。どの時期に、どこで“黒部川”を渡るのかによって、計画が大きく異なってくる。万が一の際のエスケープルートもしかりである。その中で、我々パーティーの実力などを冷静に判断して選んだのが、下記のルートであった。

@後立山連峰登り 後立山連峰に上がるアプローチには、多くのルートがある。一部にはスキー場のリフトを利用できるものもあり、比較的容易に主稜線に立つことが出来る。その一方、主稜線の縦走には、それだけで本腰を入れてかからなければいけないものもある。そういったものを考慮して、我々は赤沢岳近くの屏風尾根を選択した。この尾根を辿ったことは無いのだが、上部主稜線からか尾根を一望したことがあったことも、選択の理由の一つとなった。この尾根は標高差・難度も高くなく、よっぽどの降雪の後で無ければ、雪崩の危険も比較的少ない。注意点としては、万が一これを下らなければいけない場合、あまり顕著な稜線では無いため一歩間違えば雪崩の巣となる可能性があること、視界不良の場合はかなり下降が困難になるということである。

A後立山連峰下り 後立連峰から黒部川に下る夏道のついた純粋な尾根は、皆無である。言い換えるならば、黒部横断のためには人の手のあまり入っていない尾根を、積雪期に下らなければならないということだ。尾根の最後は樹林帯に入り視界も遮られるため、登ることよりも格段に難度が上昇する。そんな尾根の中に一般的な下降ルートとして東谷尾根・牛首尾根があるが、我々は赤沢岳北西尾根を選択した。万が一のエスケープルートとして、黒四トンネルが使用出来ること、積雪期の最上部および最下部を傍観する機会があったこと、等がその理由となった。非常に記録の少ないルートで、積雪中は雪崩れそうな上部の斜面と、黒部川に降り立つ最下部(懸垂下降の可能性)がポイントとなる尾根である。

B黒部川渡渉 12月は積雪が少なくてまだスノーブリッジが形成されなかったり、逆に春は雪解けが始まり川の水が増水して渡渉困難となったりする。黒部川の水量や橋の損傷などの不確定要素が関与しやすく、登山の実力以外の要素に頭を悩ませなければいけないのが、この黒部川渡渉である。数ある渡渉点の中で我々が選択したのは、黒部ダム直下の領域だ。ダムの放水があったとしても、渡渉可能な浅瀬があること、また黒部ダム周辺のルートを利用することは、万が一のエスケープルートとしてトンネルを使用できることにもつながる。

C剱岳登り 立山以南に抜けてから剱岳に登るというルートもあるが、実は冬季の縦走は技術的には難しい。一方、剱岳に直接突き上げる尾根を目指すことは、その難度・標高差からもこの黒部横断のハイライトともなるものである。北からガンドウ尾根、三ノ窓尾根、八ツ峰、源次郎尾根がある。3月に八ツ峰を踏破したことがあるが、八ツ峰はかなり技術的に難しく上級コースである。一方、源次郎尾根はI峰頂上までは雪崩の危険は高いものの、比較的技術的要素は低い尾根である。パーティーの実力などを考慮して、我々は源次郎尾根を選択した。夏ではあるが、幾度と無く登下降に使用した経験もその選択の理由となった。

D剱岳下り 剱岳からの下りには、多くの登山者が利用する早月尾根を下ることとした。上部では雪崩・滑落の事故も多数発生しており、トレースが無い場合・視界不良の際には要注意の尾根である。最後まで緊張の糸を切らさないようにしなければいけない。

E装備 黒部横断には冬季登攀フル装備を持参することが必要だが、同時に長い距離を歩くことに対する軽量化も求められる。グラム単位で装備を削るとともに、使い慣れた質の高い装備を準備する必要がある。現在では軽量高性能のテントも市販されているが、その当時はあまりいいテントも無かった。そのため黒部のドカ雪なども考慮して、我々は超軽量ツエルトを用意して、宿泊には積極的に雪洞を使用することとした。また岩場の要素は少なく雪稜主体のルートだったため、ロープは8.5mm x 55mと7.0mm x 36m(源次郎尾根II峰懸垂のため)を用意した。

Fトレーニング 技術的にはあまり難しい所は無いのだが、スピード・体力・判断力が求められる総合力の試されるコースである。一般的冬山コースを普通に登下降出来ることは当然だが、不安定な雪質でのチームワーク、トレースの無い尾根での下降、ロープ無しでも安定して登下降できる安定性が求められる。そういったことを念頭におきながらのトレーニングが必要となる。

G偵察山行 イメージトレーニングのためにも、黒部川渡渉予定ポイント、尾根からの下降ポイントなどは視察しておいた方がいいだろう。後立山連峰下降に東谷尾根・牛首尾根を用いる場合は、尚更であろう。また、万が一の際のエスケープルートの偵察も行っておくと良いだろう。

3. 出発(山と人第17号より)
CL 大瀧、木田

3月23日 快晴 快晴 快晴
ゲート(5:40-7:25)岩小屋沢出合(7:40-12:40)屏風尾根頭(13:25-16:30)赤沢岳北西尾根2,100m
 前日のちくまで離神。熟睡は出来なかったが気合十分、タクシーで入山。例のごとく道路を歩き、そろそろ休もうかとS字カーブを回り込んだとき、何とそこには除雪されていない雪壁が現れた。噂には聞いていたが、黒四ダム無人化の影響がこんなところにも出ているのだ。雪は締まっているのでさほど影響は無いが、今後一月二月は大変になるだろう。雪は下界では少ないのだが、扇沢駅に近づくほど多雪を実感する。

 五月山のような陽気の中、クラストした雪原をだましだまし歩き尾根の取り付きへ、そこからはわかんの世界。ひたすら尾根状をラッセルを交えながら急登するとコル。そしてこれといった特徴の無い尾根をひたすら頑張り、二人ともボロボロになる頃、稜線に出る。
『えっ、出発してまだ七時間!?』、このままでは一歩も歩けない。風の無い雪庇の下でコンロをたき水分補給。


 大休止の後赤沢岳へ一投足、そこから気持ちを引き締めて北西尾根下降にかかる。信州側とは雪質もうって変わり、尾根をラッセルしながら下降。右側の沢筋は少々気色悪いが、なるべく左の尾根に近づけば問題は無い。降雪中は2,300mのクーロアールをかむところが気色悪いであろう。ここまでは迷う所は無いが、ここからはガスの中での下降は不可能と言っても過言では無かろう。地図でも現在地の確認は困難で、右の顕著な尾根から左の急な樹林帯を降りると尾根がはっきりしてくる。先の尾根を見据えながら左への下降点を探さねばならない。もしラッキーにもテープを見つけたら、それは進路を変える合図だ。しかし尾根全体でも四箇所しかテープを見つけられなかった。

 しっかりした現在地の確認が出来ないまま行動を打ち切り、2,100m付近にツエルトを張る。樹林帯に入ればTSはいくらでもある。雪の状態から判断して短期決戦を予感、初日から腹の減っている木田に、食い潰しを指示。BPからは美しい西尾根が我々の頭上にそびえ立っていた。爆睡。

3月24日 曇 雨 雨
BP(5:45-7:50)赤沢出合(8:05-13:00)ハシゴ谷乗越(13:00-15:30)尾根上1,099mBP
 今日は雲行きがあやしいようだ。昨日と同様に左の稜線を探しながら行く。もしルートを見失い、登り返すとなるとすごいラッセルなので、交互に偵察しながら慎重に下降する。1700mの分岐を見つければもう尾根は明瞭、赤沢出合に向かう尾根を忠実にたどり、最後の右のルンゼを黒部川に出る。しかしもう一つ手前のルンゼでも十分降りれるだろう。もし雪が不安定ならば赤沢側に20mの懸垂となるだろう。

 恐れていた黒四の放水もなく黒部川は雪の下だ。デブリを乗り越え、ひたすら頑張り、アイゼンとわかんで内蔵助平へ。疲れた体に鞭打ちハシゴ谷乗越に着く頃、雨がぱらつき始める。それまでの黒い斑のある(後立山側の)山とは対照的に、真っ白な(剱側の)山が印象的であった。2,226mの先からの降り口は雪崩の危険があるため、雪の安定している今日中に過ぎたかったので、雨の中登って行く。そして尾根を順調に下り、剱沢に降り立つ最後の針葉樹でツエルトを張る。体を濡らしてしまい、またツエルトをも貫く激しい雨のため、シュラフカバーの中にも雨が伝い浸水し、大瀧のビバーク史の中でも最悪のものを経験する。

3月25日 雨 雪 快晴
 悲惨なビバーク中、雨は止むことを知らず朝になっても降り止むことはなかった。外は視界も悪く今日は沈殿、朝から濡れたものを乾かし続ける。その雨も雪に変わり完全に層を成している。14時頃にはガスも晴れ、快晴の下、剱源次郎と八ッ峰、そして至る所にあるデブリに、剱危険地帯に入ったことを実感する。雪が安定することを祈りながら、シュラフイン。

3月26日 快晴 晴 霧
BO(5:55-6:25)剱沢(6:25-7:30)源次郎尾根取り付き(7:30-12:00)岩峰下(12:00-16:40)I峰BP
 真砂台地に向かう尾根状を下降、尾根は顕著ではなく一箇所ロープ使用。そして剱沢をラッセルして行く。尾根に取り付くと、昨日の雨の上に10cmの積雪、60cm下に弱層があり、左の尾根に2ピッチの左上。ルンゼの最上部では1ピッチ、小岩峰で右から2ピッチ、そして岩峰直下へ。ここまでは雪質もぼちぼちと言ったところだったが、この部分の雪は非常に不安定であり、空荷でトレースをつけてから行く。不安定な雪の最上部を通過したためか、雪崩は発生しなかった。1ピッチで潅木までトラバース、さらに1ピッチで回り込んでルンゼに入る。雪は安定してきた。そして2ピッチでコルに出る。コルからは非常に雪は安定しており、変則3ピッチで右側の雪壁をダブルシャフトで登り、そしてロープレスでI峰へ。岩峰下からはスリップは許されず、ずっと気が抜けない所だけに疲れる。最後の力を振り絞り雪洞を掘り終えた時、外は夕闇が迫る時間となっていた。全体に気色悪い斜面が多いので、積雪の多い時は神経を使うだろう。連日のハードスケジュールに食べるのもおいて水を飲みまくり馬鹿食い、即寝。

3月27日 曇 晴 晴
BP(7:15-10:00)II峰懸垂終了(11:50-14:00)剱頂上(14:00-16:20)伝蔵小屋(16:20-19:00)番場島
 昨日は遅かったのと、雪洞ということもあり、寝坊してしまう。I・II峰コルへは1ピッチ、ここからやや雪質の悪い2ピッチでII峰へ出る。細い雪稜を2ピッチで尾根は切れ落ちている。確保してもらい勘で掘り進むと呆気なく鎖が出てきた。そして持ってきた7ミリ36mと8.5ミリ55mで懸垂、しかしコルの高さの上がるこの季節は約半分の懸垂であった。懸垂の後早速ラッセルにかかるが、ちょうどこの高度から上はホワイトアウトで全く動くことが出来ず、コルに戻って天気待ち。一瞬ガスが晴れると、私達が先程登った所から20mも行かない所に岩峰があった。う〜、びっくり!一時間以上待ち、行動開始。しかし岩峰の部分は非常に雪は不安定で、どう考えても斜面を左上すれば雪崩れそうだ。荷物を持っていくのもあまりに怖いので、また空荷でトレースをつけてフィックス、後はひたすら斜面をラッセルを交えて頑張れば、ひょっこりと3,000mとなっている剱頂上だ。

 あ〜赤沢岳の遠いこと、遠いこと。思えば遠くへ来たもんだ。がっちり握手を交わし大写真大会。しかしここはまだ危険地帯だ。そんなにゆっくりも出来ない。早月尾根には今回の降雪後のトレースがあるため、降りてしまうこととする。気持ちを引き締めて下降にかかる。カニのハサミではクラストしているだけで、問題なし。残置のフィックス使用。シシ頭、エボシ岩とも、トレースが無ければロープを必要とするであろうが、雪は非常に安定しており、バックステップで十分に降りれると判断し、ロープレスでいく。そして2,600m付近からはガスの中、伝蔵小屋へ。非常に緊張しゆっくりの下降であった木田も、頬が緩み笑みが浮かぶ。早月上部は、トレースが無ければ非常に厄介なものだが、それをものともしない技術力もさることながら、好天を逃さないスピードも大切であろう。ここでテントを張っていたパーティーに聞いてみると、2−3日前から何と馬場島までタクシーが入っているそうだ。大瀧の家庭の事情、明日の悪天、びしょ濡れのシュラフ、里心、トレースがしっかりついている、ヘッドランプ無しでも時間的に馬場島に行けそうだ、エトセトラ、、、。色々と理由をつけて、このまま降りてしまうことにする。残念ながらガスの中の下降となってしまったので、ルートの印象は無いが、トレースの無い時のガスの中の下降は不可能である、と言い切れるほど複雑だ。順調にトレースをたどり松尾平へ。そして唯一の明かりである派出所目指して歩く。そしてザックダウン。派出所でお茶を頂きタクを呼んでもらう。さっきまでぶっ飛ばしていた足も、もう痛みで言う事を聞かない。確かに5日間なのだが、この体の疲れ具合、目の前を通り過ぎていった風景からすればとても釣り合うものではなく、何度も今日の日付を確認してしまった。あ〜あ、5日間でする山行じゃないぞ!

4. 後記 日本のいろいろな冬山ルートを登ってきたが、トレースの少ない長大なルートを行くのは、やはり気持ちのいい充実感あふれるものだ。今や多くの黒部横断に関する記録がインターネットで検索できるようになったとともに、GPSでの現在位置の確認・山の中で天気予報も詳しく知ることができる時代となった。恐らく黒部横断も身近になった印象があるであろうが、山自体の難しさは今も変わらない。しっかりと準備・計画・トレーニングをして、この長大な黒部横断を目指すのもいいのではないろうだか。



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