あれは、第一次湾岸戦争の夏であった。小川山や城ヶ崎等でのフリークライミングを精力的にこなすとともに、屏風岩・甲斐駒ガ岳等でのアルパインクライミングをこなしていた私は、また新たな刺激を求めてヨーロッパアルプスへと向かっていた。
第一章 ペイニュ・シャモニフェース、チケット(6b、8ピッチ)7月28日
シャモニの町並みからミディを見上げると、いくつもの岩峰ラインが見られる。シャモニフェースは、その中でも美しい花崗岩のスラブラインである。数日前から高度順応のために、モンタンベール等のハイキングコースをこなしたりして体調を整えた後、関西楽人クラブの2人とこのルートに向かうことにする。岩は硬く支点も良好、10m程度のランナウト等は当たり前であることに驚きながら、アルプスでの第一歩を記した。
第二章 ドリュ、ボナッティピラー(6b、A1、23ピッチ)7月30日〜8月1日
日本にいる時から、その美しい岩峰に恋焦がれていたドリュであるが、クラシックルートであるアメリカンダイレクトは、やや岩が脆いために要注意のルートである。一方西壁側はアプローチが長くなるのだが、岩も硬く、快適なクライミングが出来ることで知られている。その中でも多くの人を迎えているボナッティピラーを目指して、まずは多くの登山用具を肩に、ドリュの肩を目指す。途中には素晴らしい登山小屋もあり、そこからのグランドジョラスの眺めは言葉にならない感動を与えてくれた。そこから更に氷河末端下を急いでトラバースして、最終的に肩に到着してビバークとする。
翌朝ヘッドランプをつけながら、事前に集めておいた情報を元に、落石に注意しながら懸垂下降を開始する。このルートは、ボナッティが単独で開拓をしたルートであり、そのルート設定には非常に美しいものがある。現在では多くの残置ピトンがあるが、全くボルトなどは残されていない。シャモニを代表するアルパインクライミングルートであると言えよう。岩の弱点を縫ったクラックラインを辿り、稜線に這い上がる。
稜線に出た後は、金色のマリア様を拝むために頂上を目指すが、あいにくの雷雨に阻まれて懸垂下降で肩を目指す。23ピッチとルートが長いとともに、空中懸垂を含む10回以上の懸垂下降があるために、スピードと体力が要求される総合力のいるルートである。ビバーク地点に戻り翌朝下山を開始したが、氷河を超えて安全地帯に戻った時、長年の夢であったルートを登った充実感を噛み締めるとともに、心身ともに疲れた体を休めて、美しい景色に見入ってしまった。
第三章 モンブラン・デュ・タキュル、ジェルバズッチピラー(6a、31ピッチ)8月4日
これもクラシックルートの人気ルートであるが、シャモニで知り合ったYさんとともに、このルートを目指し、前日に頂上駅で宿泊する。早朝、暗闇のバレ・ブランシェの氷河を渡り、取り付きを目指すが、所々にクレバスが口を開けているので、神経をつかわされる。ルート自体はリッジを辿る、落石の心配の無いフリー主体の展望のいいルートであるが、登山靴・ピッケルを担ぎながら31ピッチを登らなければいけないので、パーティーの力量が問われるルートである。16時に山頂に到着し、ケーブル駅を目指して慎重に下山する。雪は腐れ雪になるのだが、スリップが許されない斜面が続くので、十分な体力を残しておかなければいけない。駅で再度ビバークの後、翌朝下山する。
スピードと確実性もさることながら、標高3,800mをものともしない体力も要求される。北アルプス剣山をイメージしたような、そんな雪と岩の好ルートである。
第四章 グランドジョラス、ウォーカーピラー(6a、A1、42ピッチ)8月8〜10日
ヨーロッパ三大北壁の一つで、冬は難度の高いミックス壁となるが、夏は逆に岩登りの好ルートとなる。これも日本から憧れていたルートの一つであったが、ビバーク装備を肩にモンタンベールから氷河を詰めて、グランドジョラスの取り付きを目指す。黒部奥鐘山を含めていろいろな日本のビッグウオールと対峙してきたが、標高差も1,500m以上あり、今までに経験したことの無い圧迫感をその基部で感じながらアンザイレンした。
ルート下部はややラインが不明瞭だが、上部へのルートを確認した後、適当なスペースでビバークに入る。ここは中間部にはいいビバークサイトは少なく、落石も集中しやすいので、戦略も必要となろう。翌朝からはヘッドランプを頭にピッチを進める。壁の傾斜がある所は迷いにくく、プロテクションもとれるのだが、傾斜の緩い所はランアウトは当たり前で、ルートを間違えずにかつ1ピッチを2人で20分以内で登るスピードが要求される。上部にパーティーがいる場合は、巨大な落石を気にする必要もあるであろう。
いったい何ピッチ登ったであろうか、高度感が完全に麻痺する頃、ようやく最後の5mの雪壁を登り、この日初めての太陽を浴びながら頂上に立つ。そしてザックにどっかりと腰を下ろして腰確保を行い、後続を迎える。たかが42ピッチ、されど42ピッチ。そして、既にここはフランスではなくて、イタリアである。今まで感じたことのない充実感を感じることが出来る。しかし、悠長にもしていられない。まだ安全地帯ではないのだ。すぐに下降に移る。一部広いクレバスもあるので、アンザイレンしながら氷河を下降、最後はヘッドランプをともしながら美しい山小屋に到着する。小屋の人も我々の登ったルートと疲れを判ってくれたのか、無料で小屋に泊めてくれた。
翌朝、小屋に別れを告げてひたすら下山、道路脇で運良くヒッチハイクに成功し、シャモニのキャンプ場まで乗せてもらうことが出来た。これも岩登り自体の難度はそれほどでもないのだが、例えるならば奥鐘山を2本登った後に、頂上稜線まで歩くことの出来るような総合力が要求されるルートであると言えよう。
第五章 赤い針峰群シャペル(V+、10ピッチ)8月13日
グランドジョラスの後はやや放心状態となっていたが、気分転換のために、シャモニの北西に広がる山域にあるちょっとした展望リッジルートに向かうことにする。心の休まらない難ルートが続いていただけに、周囲を見回して美しさを堪能できるルートであった。周囲にはハイキングコースも多く、景色を楽しみながらキャンプ場まで戻る。
第六章 ドリュ、フレンチダイレクト(6c、A3、26ピッチ)8月18〜21日
ここシャモニ周辺にあるルートは、弱点を縫ったフリークライミングルートが多いのだが、その中にあってドリュ西壁にはレッドシールドと言われるオーバーハングをまとった赤い垂壁がそびえたっている。ここにアメリカンエイド式のクラックルートが築かれているのだ。天候も不順となってきた8月後半だが、最後のシャモニでのクライミングをするために、再びドリュの肩を目指す。
このルートは最低でも壁の中で2泊は必要なので、翌朝大量の荷物を背中に、取りつきを目指して懸垂下降を繰り返す。取り付きは、前のボナッティピラーの更に下である。一日目はやや傾斜も緩い判然としないルートだが、楽人クラブのHさんにトップを行ってもらい、8ピッチを荷物を担ぎながらユマーリングを行う。そして夕日を浴びながら直上の垂壁に3ピッチのフィックスを行い、レッジでビバークとする。
2日目からがこのルートの核心である。ヘッドランプをつけながらユマーリングをした後、A3,4mのオーバーハングを越えていく。そして、レッドシールドのクラックシステムに入っていくのだが、一日中、足をしばし休ますことの出来るスタンスすら全く見当たらない。残置ハーケンなども殆ど見当たらない。ひたすら自分でフレンズ・ナッツ・ハーケンを駆使しながら、アブミで高度を稼ぐ。ビレイポイントを整備した後は、荷揚げである。これをひたすら繰り返すのだが、さすがにスピードも遅くなりがちで、知らないうちに日が西に傾く。核心部を越えて疲労も極限に達する頃、ロープと両肩に食い込むギアの重さに耐えかねてフォール、しかしこれを超えなければ今日のねぐらには辿り着かない。一息ついた後、気力を振り絞ってビバークの出来る大きなレッジに這い上がる。ふと後ろを振り返れば、素晴らしい夕陽がアルプス全体を照らしていた。ユマーリングの後、11ピッチのアメリカンエイドクライミング、一体何時間登っていたのであろうか、、、。美しい夕日と夕日に映えるレッドシールドの岩の色に見とれながら、荷揚げをしながら後続を迎えた。
3日目はHさんにトップを代わってもらい、荷揚げに終始しながら完登。悪天の予想される中、急いで下降に入る。いろいろなアルプスのクライミングをしてきたが、自分でも精一杯の最難のルートであった。充実感というよりも、もうこの両肩のギヤを担いで登らなくてもいいんだという安心感で一杯であった。
第七章 マルモラダ南壁、ゴーニャルート(VI+、A1、28ピッチ)8月26〜27日
ここまでのビッグクライムで、かなり満足感のいく山登りであったが、ここに関西楽人クラブのTさんが合流、新たな目標を求めて、ドロミテ方面に移動することとする。8月も後半に入り、降雪が近いことが感じられるが、ビッグウオールを求めてアウトバーンでのドライブを続け、コルチナ近くのマルモラダ南壁に目標を定める。マルモラダ南壁は、あまり日本では馴染みの無い壁ではあるが、700-1,000mの石灰岩のクライミングを楽しむことが出来る。中間部には大きな横断バンドがあり、ビバークも可能である。
前日に小屋まで登って宿泊の用意をした後、偵察を十分に行い、まずは人気のゴーニャルートへ。3人パーティーなので、トップをブロックごとに区切って交代しながら高度を上げていく。岩も硬く、高度感も素晴らしいルートであるとともに、3人パーティーということで余裕もあるので、非常に楽しいクライミングとなった。ロングルートということで、もちろんビバークの用意もしていたが、余裕で下山ロープウエイに搭乗することが出来た。下山の後に食べたイタリアピザの味が、忘れられないものとなった。
第八章 マルモラダ南壁、アブラカタブラルート(VII-、A3、28ピッチ)8月29〜31日
長かったアルプスでのクライミングも、これで最後となった。一本難しめのルートを登りたいというTさんの要望で、アブラカタブラという人気の少ないルートに取り付くことにする。しかし、10ピッチ以上登っても残置ピトンは3本くらいと、戻るのも大変である大変なルートに取り付いてしまったことに気づかされる。石灰岩の小さな穴を使いながらスカイフックの連続3回架け替え、壊れかけのフレークを抑えこみながらのレイバック、暗くなる頃、最後はぼろぼろのルンゼ状に突入した所で雪も降り出す始末で、落石からは比較的安全と思われる斜めの洞窟状くぼみで、ハーネスにぶら下がりながら3人で体を温めあい、ビバークとする。もちろん一睡もすることの出来ない最悪のビバークとなった。翌朝、薄く積もった雪をかき分けながら無事に完登。大きなルートを登った感動よりも、もうこれで登らなくていいんだという逃げ出したい気持ちで、壁を後にした。
1997年9月18日午前1時33分、多くの登山者を迎えていたドリュであるが、巨大な岩雪崩を起こして、ボナッティルート、フレンチダイレクト、アメリカンダイレクト等の主要ルートが崩壊してしまった。あれから17年、クライミングからはすっかり私もご無沙汰ではあるが、あの美しかった風景は思い出として心の中に残っている。しかし残念なことは、あまりにも岩ばかりを見つめすぎていために、周りの美しかった風景が少しずつぼやけてしまってきている。姿を変えてしまったドリュ、そして近年の地球温暖化の影響で、あの氷河達も大きく後退して風景も変わっているかもしれないが、私の思い出のアルプスの山を、またいつの日か訪れてみたい。
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