42.195kmと26.2mileの差  (神戸大学第二外科同門会誌 第32号 2004)



 私の初マラソンは、外科医となって8年後の秋のことであった。元来山登りが大好きで、平坦な所をただ単に走るのは好きではなかったのだが、ひょんなことで山岳レースに参加してからは、レースの魅力に取り付かれるようになってしまった。日本ではこれまでに2回の42.195kmを、そして山の無いアメリカのオハイオ州に住みだしてからは5回の26.2mileを、合計7回のフルマラソンの大会に参加する機会に恵まれた。しかし、それぞれは同じ距離のはずではあるのだが、この日米間には大きな較差があるように私には感じられるのだ。

1、マラソンコース
 日本・アメリカは、その大会数・参加者数からいっても、それぞれ世界有数のマラソン大国である。しかし、日本とアメリカを比較した場合の大きな違いの一つが、マラソンコースであると思う。
 日本のマラソンコースであるが、東京・大阪・名古屋・福岡などの大都市を駆け抜けるコース、大都市内ではあるが一般道ではなくて河川敷などを走るコース、そして田舎ののび伸びとした場所を走るコース、の3つのタイプに分けられると思う。まずこの大都市を走るコースであるが、残念なことにこれらは一般ランナーには門戸を閉ざしているのが実情だ。例えば東京国際マラソンの場合、定員は300人で、2時間30分のマラソン公式記録が無いと参加することも出来ない。テレビでおなじみではあるが、6車線道路を完全に交通規制している割に走っているランナーがまばらであるのは、日本独特の風景であるであろう。東京・荒川マラソン、尼崎マラソンなどは、都会で我々が走ることの出来る典型的河川敷レースの一つである。足元が砂地であるのと、風をもろにあびる、堤防にさえぎられてあまり景色は望めない、などの欠点はあるが、気軽に参加できるのが特徴で、日本でも参加者は非常に多い。最後に那覇・指宿・福知山・長野などの田舎でのマラソンコースであるが、都会に住むものにとってはアプローチが大変ではあるが、新鮮な空気を吸いながらのマラソンは非常に人気が高く、那覇マラソンには例年2万人以上の申し込みがある。
 一方アメリカのマラソンコースであるが、それぞれの町にそれぞれ一つは大会があるといった感じだ。それぞれの町の特色を生かしたコース設定になっており、参加者が100人足らずの田舎のレースもあれば、シカゴ・ニューヨークなどの35,000人以上の都会のレースある。特にこの大都市でのレースは日本の大都市レースとは非常に対照的であり、先頭をトップアスリートが駆け抜けるものの、その後ろには多くの一般ランナーが6車線道路を道幅一杯に使って連なって走ることが出来る。道路が直線的であるアメリカにおいては、普段は走ることの出来ない都会のど真ん中を両側からの盛大な応援を受けながら走るのは、アメリカだけではなくヨーロッパでも一般的な風景であろう。

2、距離表示
 アメリカでは、インチ(=2.5cm)・ガロン(=3.8L)・ポンド(=450g)などに代表されるように、多くの単位が日本のものとは異なる。距離も例外ではなく、マラソン大会では全てマイル(1.6km)表示である。渡米当初はこの単位の違いに苦労したものであるが、最近ではこの単位の違いこそが日米格差なのだと感じるようになってきた。日本では道が複雑に曲がっていたりして、細やかな距離表示が必要であるのだが、ここアメリカの広い大地ではあまり細やかな表示は必要ではないのかもしれない。見渡す限り直線がつづくフリーウエイを走り、車に日本の1/2以下の値段のガソリンを入れていると、アメリカの道路がマイル表示であることと、ガソリンがガロン表示あることには、自然と納得させられてしまうものがある。日本的な我々のモノサシは、精密な自動車やコンピューターを製造するのにはいいのであろうが、この広い大地を計るには細かすぎるのかもしれない。

3、ランナー
 国民性の違いはマラソン大会でも感じることが出来る。日本では真剣にレースに臨んでくる人が多いのに対して、アメリカでは一年に一回のお祭りといった感があり、スーパーマンやバットマンなどの仮装をして走る人も多い。日本ではマラソンが『ここ一番の勝負』といった感じではあるが、アメリカではマラソンを『enjoyする』といった感じか。特にニューヨーク・ボストンなどの大きな大会ではヨーロッパも含めていろいろな人種を見ることが出来るので、それぞれの国民性を感じ取ることが出来るのも、レースの楽しみの一つである。

4、応援
 日本でのマラソンの応援というものは、日本国旗を手にした多くの人が沿道で応援している姿をどうしても思い浮かべてしまう。それ以外の大会でも応援はあるにはあるのだが、河川敷のような人目につかない場所を走るせいもあり、盛大な応援には出くわしたことが無い。一方、アメリカのマラソン大会であるが、『おらが町』といった感じのものなので、町を愛する人達の息遣いが我々ランナーにまで伝わってくることが多い。ロックバンドを組んで庭先から盛大に応援したり、自分の家の前に特性給水所・シャワーを作ったり、自家製アイスクリームを配ったりすることも多い。特にニューヨーク・シカゴ・ボストンなどの人気の大会では、応援には目を見張るものがあり、道の両側に出来る人垣はスタートからゴールまで途切れることは無い。そして、我々見ず知らずの『外人ランナー』にも盛大な応援をしてくれる。一度自分の名前をゼッケンの上に貼り付けて走ったことがあるが、私の名前を呼んで応援してくれる声は、スタートからゴールまで途切れることは無かった。ペース配分を誤り、苦しみながら走っている時でも、『Good job! Good job!』、『Go! Go! Yoshi! Smile!!』、あの大声援は今でも脳裏に焼きついており、私がまたマラソンを走りたいと思う要因の一つになっている。
 お祭り好きのアメリカ人、自分の町を愛するアメリカ人、能天気なアメリカ人、自由の国アメリカ、多民族国家であるアメリカ、、、解釈はいろいろあると思うが、感情を表面に出しての応援はすがすがしいものがあり、非常に心地よいものである。


5、記念品
 参加料金は大会の運営上欠かせないものであるが、アメリカの場合は地方都市では日本の料金と大差は無いが、大都市の大会であれば$90という高い値段のものもある。大規模な交通規制などのために、運営費がかかるのは致し方ないのだが、それでも大人数のランナーが参加するというのだから、レースに対する心意気はお金には変えられないものなのであろう。
 当然ながらこれだけのお金を払うので、記念品も日本の大会に比べると立派なもので、完走と同時に大きなメダルをもらうことが出来るし、完走者しかもらうことの出来ないTシャツももらうことが出来る。ずしりと重いメダルを首にかけながら、完走Tシャツを着込んで街角でレースの祝杯をあげる光景は、よく見られる光景である。


  2003年11月16日、東京で画期的なマラソン大会が開催された。高橋尚子が後半失速したことで記憶に新しい人もいるかもしれないが、東京国際女子マラソン第25回大会を記念して、トップアスリートのすぐ後を追うように、『東京市民マラソン』が開催されたのだ。一般市民ランナーが、東京の町のど真ん中を大手を振って走るという前代未聞の大会であった。御存知かもしれないが、季節外れの気温の上昇があったせいもあり、また『東京の町を走らせてやろう』というお役所的高慢な大会運営のため、準備が極端に悪く給水が全てのランナーに行き渡らず、完走率は41.5%という最悪のものであった。しかし、石原東京都知事は2005年をめどに、ニューヨークシティマラソンに負けないマラソン大会実現を表明している。日本でもニューヨーク・シカゴ・ボストンに負けない、いやそれ以上の世界的にも素晴らしいマラソン大会が、町を愛する人の手によって、盛大に開かれることを祈りたい。


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