American Flag  (神戸大学第二外科同門会誌 第31号 2003)



 日本からアメリカに来られた方が最初に驚くことの一つが、この国おける『星条旗』の多さではなかろうか。私もSeptember 11以前にアメリカを訪れたことがあるが、今やその時とは比較にならないほどの多くのFlagを目にすることが出来る。当時は、『日の丸』国家に慣れ親しんでいた我々には、理解できないものがあったが、象徴的な2つの出来事などを通して、最近少しずつこのFlagの意味するものがわかるようになってきた。

  • 2003年2月1日
     私はこのコロンビア号の事故ニュースを、大統領の特別記者会見で知った。そしてこの時初めて、アメリカにおける宇宙への挑戦ということが、ある特別な意味での一大国家事業であるということも知った。事故後5日間は街中に反旗が踊り、普段はFlagを掲げない家までも、Flagを掲げた。TVも連日そのニュースばかりであった。人々は事故で失われた人を想い、悲しみ、嘆いた。しかし、その中でも非常に印象的だった のは、事故で子供を失った母親が事故当日のTVインタビューで、「我々は、決して宇宙への夢をあきらめない」と力強く語っていることであった。

  • 2003年3月19日
     今回の戦争は、決して大多数のアメリカ人が賛成していたわけではない。『戦争好きのBushが、、、』、といった感じで、アメリカ人の中にも戦争の意義を疑問視していた人も多く、映画の予告に似せた写真もInternet上で流れていた(Figure 1: “GULF WARS, Episode II ?Clone of the Attack-”)。戦争を回避する運動も行われていたが、しかし結局振り上げた拳の下ろし場所は、結局イラクであった。開戦後は世の中は戦争一色、毎日ラジオでは国歌を流し、あれだけのイラク人の犠牲がありながら、戦争犠牲に対する報道は無かったのに対し、たった一人のオハイオ州出身の陸軍兵の戦争行方不明者が出た時には、毎日TVは特番を組んでいた。そして、街には再び無数のFlagが舞った。

    Figure.1 Figure.2 Figure.3 Figure.4

     Flagでデザインされたバンダナ、帽子、ジャケット、またFlagをたなびかせて走る車、HolidayでもないのにFlagをたなびかせる一般家庭(Figure 2: 毎日玄関先に掲げられるFlag)、道の両側の全ての電信柱に掲げられるFlag(Figure 3: 道路の両側の全ての電信柱に掲げられるFlag)、公共施設に堂々と掲げられるFlag(Figure 4: Ohio最高峰に掲げられるFlag。日本の山頂で『日の丸』を目に出来るのは、鹿児島の高千穂峰ぐらいではなかろうか。)、、、。そして、MLBやMLFの決勝戦では、必ず巨大なFlagを掲げ、国歌の合唱の後には、お決まりのB-1やF-14-Tomcatが飛んでくる。これらFlagの意義であるが、熱狂的な国家主義者にとっては、Nationalismの象徴的なものであろう。そしてここアメリカにおけるFlagのもう一つの意味は、自由の象徴でもあると感じる。(イラク・バグダット占領直後のアメリカ兵が、Flagをフセイン大統領象にかぶせ、世論を考慮してすぐに回収したのも、非常に印象的であった。)そして、それにも増してこのFlagは、戦争の賛否などとは関係の無い”Patriotism = 愛国心”の象徴であると感じる。

  アメリカ人以外にとっては、この過大なまでのPatriotismに嫌気がさしている人も多い。そして、アメリカの自己中心的な民主主義、平和を与えてやっているのだという傲慢さ、押し付けの民主主義。しかし、これだけのAmerican Flagを目にした時に、いつも想像することだが、このFlagを全て『日の丸』に置き換えた場合に、そういった風景を日本ではお目にかかったことが無い。Patriotismが極端にまで欠如した現在の日本を知っている私にとっては、アメリカ人のAmerican Flagを掲げて意味するものが単純明快であり、また、これだけの多民族国家でありながら、現実にはごく一部のWASPにうまくコントロールされている国家は、羨ましくもあり、またすがすがしいものを感じる。

  アメリカに到着して間もない頃は、American Flagの多さに驚き、不自然さを感じていた私も、いつのまにか、今やFlagが一つの風景として自然に受け入れられるようになってきた。



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