「氷壁」 (神戸大学第二外科同門会誌 第27号 1999)



 「氷壁」との初めての出会いは、私が大学1年生の夏のことであった。当時私は、大学受験を終えて、怠惰な教養生活を送っていた。特に勉強するでもなく、何かしら打ち込めるものを、受験勉強に代わる何かを求めていた。そんな中で出会ったのが、山登りであり、「氷壁」であった。

 井上 靖は小説家として名前の知らない人はいないと思いますが、彼が一般小説とは分野を異にする恋愛小説であり山岳小説である「氷壁」の作者であることを知っている人は少ないのではなかろうか。山岳小説の場合、日常の世界とはかけ離れているために、机上だけでは表現できない難しさがあり、実際にその場面に登ってみなければ詳細に情景を文字にすることが難しいことが多い。そのため我々山に登るものが山岳小説に触れた時には、その作品が「本物」か「偽物」(実際に山に登らずに書くこと)かはすぐにわかるのである。この「本物」の例が新田次郎の作品であり、また井上靖の「氷壁」であった。内容は昭和30年代の麻ザイルを使用していた時代の話であるが、麻ザイルが切断されてパートナーを失い、そこに女性をめぐる争いがあったという話だ。もともとは実話を元に発表されており、実際に神戸大学山岳部でも穂高滝谷でナイロンザイル切断による遭難事件が発生していた。

 私自身この時は、まさかザイルをつけてまで危険な(当時はそう思っていた)山登りをすることはない、と思っていたのだが、その翌年11月にはもうダブルアックスで垂直の氷壁を登っていた。(注:ダブルアックス=両手にピッケル、両足にアイゼンをつけて垂直の氷壁を登る技術)

 医師になってからは、手に怪我をできないということで、岩登りはあきらめたが、氷壁だけはあきらめることができなかった。医師になった平成5年冬には南アルプス北坊主沢、平成7年冬には南アルプス三峰川岳沢、平成9年冬には中央アルプス三ノ沢岳奥三ノ沢に登ることができた。特に後者2ルートは日本でも屈指のアルパインルートで、学生時代からも登りたいルートだっただけに、感動もひとしおであった。

 何が面白くて氷壁に登るのであろうか。一つには、私が極度のエンドルフィン中毒だということだろう。そしてもう一つは、自分の生を一番よく感じ取れる場所だからであろう。毎日命を預かる仕事をやっていると、いつのまにか人間の生と死との感覚が麻痺してしまう。ところが冬の谷に入ると、そこには全ての生命を拒絶するがごとく青くきらめく美しい氷壁がそびえ立つ。あたりは静寂に包まれ、垂直の氷壁にアックスでぶら下がっていると、パートナーと自分以外は全く周囲には生が感じられなくなる。しかし、そんな氷に対して恐怖を感じて、氷を砕く登り方をしてしまうと、今自分の体重を支えている氷自体が割れて、大墜落をしてしまう。氷壁の場合、支点が曖昧であるがために、墜落はパートナーをも巻き込む致命的な事故につながるし、逆に石橋をたたくようなゆっくりとした登り方をやって天候判断を誤れば、雪崩にもつかまってしまう。何も語らない氷だが、氷と友達になるように、やさしくアックスを振るいながら、「熱く、かつ冷静に」、素早く冷静にルートを読んで氷壁を攻略する必要がある。そしてそれら氷壁を征服して頂上に立ったとき、自分が生きている実感を大きく感じ取ることができるのだ。

 先行き不安な日本経済、この先闇の医療情勢、そして連続する少年犯罪。ため息が続く嫌な世の中だが、山は昔のままの姿で我々の前にいる。時には厳しくもあるが、時には微笑んでくれることもある。そんな純粋無垢な美しい自然を前にしていると、自分も素直になれるような気がする。めげることなく毎日の医師としての生活も、そして山でも、「熱く、かつ冷静に」、いろいろな山登りがあるかもしれないが、これからも大きな「氷壁」を登っていきたいものである。



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