南の島の"登り方" (神戸大学第二外科同門会誌 第26号 1998)



 小生、今でこそ医者をしておりますが、昔は山登りの「ガイド」で生計を立てていこうかと思った時代もありました。日本のおおよそ有名な山は登り尽くし、春夏秋冬、季節を問わず山に登り、年間150日以上山に入っていたこともありました。ところでこの有名な山というものですが、なぜかこれらの山は、関西より北の山が殆どなのです。これには、関西より南にはあまり高い山がない、南にある夏山は暑いところが多い、南にいくほど樹林帯が深く森林限界が高くなる、南の山には岩稜等のアルプス的風景がない等の理由があるものと思われます。

 昔の私のままであれば、おそらく今でも垂直の山を求めて、足しげく関西より北の山に通ったのでしょうが、外科医を志してからは、いかんせん手に傷をつけることが出来ないために、これらの山からは遠ざかることが多くなりました。そこで最近では趣向を変えて、今まで登った事のない南方のなだらかな山に、目を向けることが多くなりました。特にこの3年間は、サンゴ礁のある島々での楽しい山登りを経験することが出来ました。南の島というと、どうしても海に目が行きがちですが、私流の南の島の"登り方"を紹介したいと思います。

  1. 屋久島(日本:宮ノ浦岳=1935m) 1995年8月26日、当時結婚前の私の妻、私の母(ちなみにこの時54歳)を連れて伊丹空港から鹿児島空港を経由して屋久島空港に到着しました。当時飛行機運賃がいくらかかったか、忘れてしまいましたが、うまく事前購入できれば往復4万円未満で行けるでしょう。空港からはタクシーをチャーターして紀元杉(樹齢3000年)まで登ります。とにかく今まで見たことの無い大きさの大木です。ここから約1時間の登りで、今日の宿の淀川小屋です。朝、神戸を出れば必ず夕方前には小屋に着くことができます。なかなかきれいな小屋ですが、結構いつも人が一杯のようです。

     8月27日、あいにくの雨ですが頂上に向けて出発です。作家の林芙美子が「屋久島では1月に35日雨が降る」と書いてますが、必ず1日に1回は雨が降るため、雨具の用意は必携です。日本庭園のような花之江河を越え、巨石の立ち並ぶ稜線を過ぎれば頂上はすぐです。頂上からは永田岳の雄姿が素晴らしい。ちなみに頂上から屋久島の海岸線は望めません。逆に言うと、ふもとからは宮之浦岳は見えないのです。非常に山が深く感じられます。頂上から新高塚小屋までは2時間ちょっとの下りで着きます。今日はここで1泊です。夜になれば満天の星空で、ペルセウス流星群の時期でなくとも1時間に10個位は流れ星が見れます。これは、黒部真砂沢で見たものに次ぐ星空です。

     8月28日、今日は今回のメインイベントの縄文杉まで下って行きます。人見知りしない鹿や猿の群れを見ながら、下っていけば推定樹齢7200年の縄文杉です。とにかくでかい。アメリカのヨセミテ国立公園でジャイアントセコイアを見たことがありますが、そんな比ではありません。一見の価値はあると思います。屋久島では木のスケールが全てでかいのです。北アルプスにあれば名前の付きそうな巨木が、ここではそれぐらいのサイズであれば、そこらじゅうにはえているのです。大きな感動を後に、ここからはひたすら海を目指して歩きます。辻峠を越えて、海岸線を目前に見ながらひたすら下っていけば楠川に下山です。バス停にある水が旨いこと、旨いこと。この日は宮ノ浦でレンタカーを借りて、尾之間温泉で汗を流しました。私達の行った時は潮の満ちてくる時間がちょうどよく、平打海中温泉にも入ることが出来ました。この温泉は、海岸に湧き出ている温泉で、お湯の湧き出る位置まで潮が満ちてくるまでは、熱くてとても入れないのです。また、逆に満潮になると海中に没してしまうため、これもまた入ることが出来ません。幸運にも潮の満ち引きにちょうど良い時間に屋久島に行けそうならば、是非入浴することをお勧め致します。

     8月29日、楽しかった南の島も今日でお別れです。今日はレンタカーを操って、島内観光です。日本銘滝百選にも選ばれている豪快な「大川の滝」、海の白さが印象的な栗生のサンゴ礁、南の果実が満載のフルーツガーデンをめぐった後、島を時計回りに一周して空港に帰着しました。帰りの飛行機からは案の定、宮之浦岳は見えませんが、再訪を胸に秘めつつ思い出を胸にしまい込む私でありました。  世界遺産に指定されてからは、人気が高く飛行機の予約がすぐ一杯になるようですが、多くの自然が手付かずのまま残り、独立峰ではありますが、山懐が深く感じられる素晴らしい山でした。道もしっかりしていますし、しっかりした人と歩けば初心者でも安心な山だと思います。色々な尾根から、また色々な沢から何回でも訪れてみたい山でした。

  2. ボルネオ島(マレーシア:キナバル山=4101m) 1996年7月28日、マレーシア航空を使って名古屋空港を出発しました。関西国際空港出発の便は、すぐ満席になる、JRの特急「はるか」がよく遅れる、1人あたり2650円の空港使用税がとられる、格安チケットならば新大阪ー名古屋間が4200円で行ける、帰国時も税関の通過がスムーズ等の理由で、私個人の意見としては名古屋空港経由が便利だと思います。今回は6泊7日の日程で、全てのホテルの朝食夕食、現地での交通費、山小屋の手配、ガイドの手配を含めて、1人14万8000円かかりました。この日は、ペナン、クアラルンプール経由で夜にはコタキナバルに着くことが出来ました。このボルネオ島は、島の南部を占めるインドネシアではカリマンタン島と呼ばれていますが、この国境地帯にはまず人が近づけないという秘境です。このコタキナバル以外にも、洞窟、ダイビング等とアウトドアをやっている人にはたまらない島です。

     7月29日、手配しておいた車での2時間弱のドライブで標高1530mの登山口ののあるPHQ(Park Head Quarter)です。公園内を散策し、この日は一日中山を眺めながらのんびりすることが出来ました。

     7月30日、標高1890mからいよいよ登山開始です。余分な荷物はPHQ本部で預かってもらい、ガイドを連れて、私と妻の3人で整備された登山道を登っていきます。この山ではガイドを雇うことは義務づけられています。標高3250mのラバンラタまで登るのですが、思ったほど標高差は感じません。毎年9月に「Climathon」(注:ClimbingとMarathonの造語)という頂上往復の登山競争が開かれるせいか、道は非常に明瞭で整備されているからです。知らず知らずのうちに標高を稼げば、ラバンラタに着きます。ラバンラタにはきれいな山小屋があるのですが、ここまで現地の人が新鮮な魚介類等を人力で荷揚げしており、食事は安い上にとてもおいしく、また気温もかなり下がるため熱帯にいながら非常に過ごしやすい所です。

    7月31日、朝3時に頂上を目指します。熱帯といえども頂上付近は摂氏5度前後となり、雨具を着込んで登っていきます。草木1本無い一枚岩の上を歩いて行けば、そこは頂上です。この日はあいにく天気は悪かったですが、幻想的なキナバルの朝焼けを見ることができました。4000mではありますが、しっかり体調に気をつけて水分を多めに摂るようにすれば、特に高山病の心配はいらないでしょう。頂上からの展望を満喫した後、小屋に戻り、下山を開始します。下りは非常に楽で、午前中のうちにPHQ本部に着くでしょう。

     標高はあるものの、北アルプスを歩ける人であれば、問題なく登ることが出来るでしょう。道がしっかりとして歩きやすい分、登っていて足下が不安定な富士山よりも登りやすいという印象でした。欧米人も多く、こんな人が登ってもいいのかと思うようなコレステロールを身にまとった人もいます。3000mを登ったことの無い私の妻も登れたことだし、日本の3000mを登れる力があれば、簡単に登ることができるでしょう。登山の後の楽しみですが、旧日本軍が開いたというポーリン温泉に行くのも良し、コタキナバルの屋台で中華料理を食べまくるのもよし、またサンゴ礁の海で泳ぐのも良し、物価も安いのでショッピングも良し、いろいろ楽しみもある山登りでした。特にキナバルから30分で行けるサピ島、マヌカン島は、プライベートビーチ気分で過ごせます。日本人もあまりまだ訪れることも無く、静かな休暇を過ごすことができます。このアジア周辺は、最近円高が進んでおり、かなりリッチに過ごすことができるでしょう。なかなかの穴場だと思います。

  3. ロンボック島(インドネシア:リンジャニ山=3726m) 1997年7月26日、昨年と同様に名古屋空港からのフライトでした。行く先はガルーダインドネシア航空を使って、まずバリ島に飛びます。バリは最近日本人がたくさん訪れるせいか、観光地化されており、結構過ごしにくい町です。喧騒を避けるように、バリからは東隣に位置するロンボック島に渡ります。日本から飛行機のチケットをおさえておいた方が無難です。今回は高級リゾートホテルに妻を残し、私一人でこの島の最高峰のリンジャニ山にone day ascentをすることにしました。

     7月29日、0時30分にスンギギをタクシーで出発し、登山口のある標高750mのバヤン村まで行きます。この山の情報はあまり日本でも少なく、出発する前に現地の人に、いろいろと登山情報を聞いて回ったのですが、皆が口をそろえてone day ascentなんか「Impossible!」。心の中で「なめんなよ!」日本で何回も単独登山、夜間登山をやっていたので、慣れてはいるのですが、あたり一面真っ暗闇のジャングルに足を踏み入れるのは、結構気合がいります。タクシーの運転手に18時に迎えに来てくれるように頼んで、2時20分に出発しました。ジャングルに入るまでは登山道は明瞭ですが、幅は狭く、枝道も多く、また道標も無いため、夜間登山はガイドがいた方が安心かもしれません。しかしジャングルの中に入ってしまえば、道は明瞭で幅もあるため、まず迷うことは無いと思います。ひたすら駆け上がり、標高3000mの外輪山には5時20分に到着しました。しかし標高2500mの森林限界からはトレースを見失ったために、外輪山からスガラアナ湖への降りる道がわからず、夜明けを待つこととなりました。この山は外輪山の中央にはカルデラ湖があり、その外輪山の一番高い所が頂上です。しかし登り着いた場所と頂上への外輪山との間に、湖から流れ出す谷があるために、一旦湖に降りなければならないのです。道を確認した後、湖に映える朝焼けのリンジャニ山を見ながら、一旦2300mの湖まで駆け下ります。ここからの絶景は特筆すべきものがあり、外輪山まで登るだけでも価値があると思います。事実多くの欧米人が、ここまで上がって来ているようでした。湖のほとりにある小屋まで降りて、今度は直角に左手にある細い道を、またひたすら登ります。この付近には天然の温泉があり、これに入りに行くのも面白いでしょう。再度登りまくり再度外輪山に出ます。ここから非常に道の悪い砂礫の急登を、三歩登って二歩後退するような調子でひたすら登れば、3726mの頂上です。頂上には11時30分に到着しました。ここまで結構しんどいですが、しかし頂上からは裾野の広大なジャングルの奥に360度海が見渡せ、はるかには、隣のバリ島の聖なる山、アグン山がそびえ立ち、登りの疲れを忘れさせてくれます。

     さすがの私も合計3800mの登りには参りまして、下りのペースはダウンし、膝をいたわりながら降りていきます。しかし、最後の湖から外輪山への登りは精根尽き果てました。水は3リットル用意したのですが、熱帯ということもあり、水は飲み干してしまい、最後は惰性で下り続け20時20分に下山となりました。合計18時間の登山でした。  「Superman!」とやや興奮気味のタクシーの運ちゃんに聞いても、やはり1日で登る人は誰に聞いてもいないらしく、標準的には2泊3日で登るのが一般的だそうです。ガイド、ポーターを雇って来ている欧米人は多数見掛けました。またスンバルンラワンから登るのが一番早いのですが、アクセスの林道が大変ということです。レベル的には、前回のキナバル山よりはグレードが高いです。しかし、人も少ない外輪山の縁で満天の星空を仰ぎながら、バーボンをひっかけることができたら何て素敵なことでしょう。人の多い山に飽きてしまった人にはお勧めです。

 登山の後の楽しみですが、ロンボック島にはバリ島のようにまだ観光地化されている所が少なく、静かです。物価も安くバリのようにぼったくられる事も無く、特に3つの小さな島(ギリ)では、とにかく時間を忘れてのんびりすることができます。ここはホテルからも連絡船が出ており、約60分で行くことができますが、時計なんて必要はありません。全てを忘れて、思う存分自分の時間を過ごすことが出来るでしょう。

 一昔までは、海外の山というと、スイス、ネパールを筆頭にニュージーランド、アメリカ等が多かったのですが、最近では、少しずつアジアの山も注目されています。東南アジアに高い山があるとは、知らない人も多いかもしれませんが、今回のキナバル山、リンジャニ山をはじめバリ島のアグン山(3142m)、パプアニューギニアのウイルヘルム山(4508m)等の高い山があります。また東南アジアではありませんがハワイ島のマウナケア(4206m)、台湾の玉山(3997m)もあります。今や海外旅行に行くのは当たり前の時代になっておりますが、南の島に行けば当たり前のように泳ぐだけではなく、山にも目を向けてはいかがでしょうか。

 最近中高年の山登りが流行っておりますが、山登りは他のスポーツと異なり、相手を必要とせず、自分のペースで楽しむことができます。テニスには相手が必要です。野球をするにも18人必要です。しかし、山登りは自分の自由な時間に一人で楽しむことができます。また人それぞれの楽しみ方を得ることができます。これからの時代は厳しい医療環境ではありますが、第二外科の諸先輩方も息抜きに適度に山登りでもして、そして汗を流すことを、お勧めいたします。また山でお会いできることを楽しみにしております。



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