山登りと外科学 (神戸大学第二外科同門会誌 第25号 1997)



 「趣味は山登りです。」と答えると,必ず聞かれる質問がある。「しんどいのに,なんで山なんか登るの?」 私は決まってこう答えることにしている。「エンドルフィン中毒なんです。」

 私が登山を始めたのは,神戸大学入学後の医学部ワンダーフォーゲル部であった。4月入部時は夏山だけやってみようと思って入部したのだが,大学入試試験も終わり怠惰な教養生活を送っていると,何かしら打ち込めるものが欲しかったのと,雪の降ることのない神戸にいると福井から出てきた私には雪が恋しくなってきたこととで,11月には全学の山岳部の門を叩いていた。山岳部では,山の素晴らしさとともに,登るのも登れないのも自分の実力,危険地帯でも自分を守ってくれるものは自分の実力だけだという中で,綿密な計画・準備のもとに計画を遂行出来たことの快感に魅了されていった。時には気のあったパートナーと,時には単独でと,特にrock climbing,ice climbing等の垂直の世界では,それが顕著だったために,どんどんその世界に足を踏み入れていった。日本の主な大岩壁を数々登るとともに,特に穂高岳屏風岩では単独初登・ルート開拓・冬期単独初登の記録を打ち立てた。日本だけでは飽きたらず,ヨーロッパアルプスにも遠征し,グランドジョラス・ドリュ・ドロミテマルモラーダ等の大岩壁を登りまくった。その後も山への欲望は途切れることなく次々と困難な登山を繰り返し,私の親友を山で失ったり周囲の岳人が1人2人と山で事故死する中で,人には「次に関西で死ぬのはOやな」とまで言われるようになった。しかし自分では絶対死なない自信はあったのだが,人に言わせれば幸運にも何とか生きて大学を卒業,医師免許を取得することができた。そして第二外科に入局,医師としての第二の人生をスタートした。

 もともと大学入学時から外科学を志していたが,それを強くさせたのが大学1年次に所属していたワンダーフォーゲル部の歓迎会でのことであった。OBであった故松森先生が「今時,父親が外科しているから外科に進む奴なんていらん。やめとき。」と言われたことであった。若気の至りか頑固な性格の私は「この先生にだけは負けへん」と思ったのは言うまでもなかった。研修は大学入局が4人しかいなかったこともあり多忙を極めたが,山登りに比べれば何のその,2年目には県立淡路病院で,3年目には県立姫路循環器病センターで,4年目には私にはもったいない伴侶を得て6ヶ月間小原病院で研修することができた。その間自分の持つ力を最大限に引き出してもらい,腹部・胸部さらには頭部・整形外科までも研修できたのは本当に幸せであった。

 「しんどいのに,なんで外科なんかするの?」 「エンドルフィン中毒なんです。」

 私自身,登山と外科学というのは何かしら似通ったところがあると思う。両者ともしんどいけれども,何かしら努力した分だけ必ず結果が出てくると思うのだ。どんな厳しい症例であっても頑張って術前管理・手術・術後管理を行えば,必ず報われる時がくる。金儲けだけを考えれば楽な講座はいくらでもあるし,趣味に生きようと思えば暇な講座はたくさんある。けれど私自身,今まで山登りに情熱を燃やしたように,ずっと幾つになっても外科学に情熱を燃やしていきたいと思う。山で気のあったパートナーと登ったように,楽しく外科を続けていければ最高である。

 最後に,頑固で鉄砲玉のような私を温かく見守っていただき,御指導いただいた諸先生方に深く感謝致します。



BACK  HOME